㊟成均館スキャンダルの登場人物による創作です。
ご注意ください。
トック爺が飛び出してきたときに見たのは、重なるように道端にうずくまるユニと乳母、そして乳母からユニを奪い返すように胸に抱きしめる男の姿。
「か・・・カラン様あ!」
声を上げたトック爺を見て、ソンジュンは
「床をのべてくれ!」
と叫んだ。
「床はテムル様がいつでもお休みになれるよう、整えてありますよう!お運びしましょう!」
叫び返すと、ソンジュンはユニを抱えて立ち上がった。恐ろしいほどの膂力だ。いくら女人でも人一人は重い。それでもぐ、と膝でユニの体を浮かしてから横抱きにすると立ち上がったソンジュンに、流石は、とトック爺は感心した。
「うちの坊ちゃんでは到底できない技ですねえ。」
ヨンハがうるさ~いとわめく姿が頭に浮かんだ。
ヨンハの乳母の手を引いて助け起こすと、歩けるというので、トック爺は急いでのしのしと歩くソンジュンの前に回り込み、ユニの部屋に案内した。部屋の前で振り向くと、小さな庭の真ん中で立ちすくむソンジュンがユニの顔を覗き込む姿が目に入った。笠で表情は見えない。けれどトック爺は知っている。若き儒生時代に何度も見た。あの評判高いカラン様がただ一人目元を緩ませてほほ笑むのを。今、ほほ笑んでいるのかはわからないが、イ・ソンジュンという男が表情を崩すのはたった一人が相手の時だけだ。
「ようございましたねえ、テムル様・・・。」
ちょっとだけ目じりが濡れるのを実感しながら、トック爺はユニの部屋の扉を開け、ソンジュンが再びこちらに向かってくるのを待った。
そっと床にユニを下ろすと、ソンジュンはそのまま傍に座り込んだ。あせあせと戻ってきたヨンハの乳母が、履いたままのユニの靴を脱がしていることなど目に入らないかのように、ユニの頬を撫で、首筋を触り、必死にユニの様子を探ろうとしている。少し汗ばんだその掌の感触に、ユニはほほ笑んだ。不器用なソンジュンの情愛が、掌一杯に伝わってくる。
「・・・具合を悪くしているとヨリム先輩に聞いてきたんだ・・・医師には診せたのか、急に倒れるなんてどうしてしまったのだ・・・。」
「お薬はきちんと頂いているんだけれど、胸やけがするから食欲がない時があって・・・仕方がないのだけれど。」
「し・・・仕方がないなんて言わないでくれ!み・・・都に帰ろう、屋敷に戻って、俺が名医を探してくるから、まずうちに出入りの医師に見てもらって・・・。」
「焦って治療するものでもないから、時期が来たら・・・。」
「そんな悠長なことを言っていてはならないだろう!ちゃんと体を治してくれ、もう二度と君が俺の傍からいなくなるなんて考えたくもないんだ・・・。」
きょとん、としたユニと、後ろで話を聞きながら、状況を察したトック爺は笑いをこらえている。これはうちの坊ちゃん、テムル様の体のご事情をカラン様にお伝えしてないな、と。そしてユニと同じくきょとんとしたヨンハの乳母が、あらあらあら、とおおらかに口を挟んだ。
「旦那様、時期が来たら胸やけは収まりますよ。今一番悪阻がきつい時期なだけですからねえ。」
悪阻?と繰り返し、その言葉を咀嚼するように何度か繰り返したソンジュンを、トック爺は大層楽しく見学させてもらった。
茶を淹れに席を立った乳母が、庭に馬が来てますよう、とトック爺を呼びに来て、ユニとソンジュンは二人きりになった。庭からはどうどう、と馬に話しかける声が聞こえてくる。ソンジュンが放り出してきたのに、ちゃんと後を追ってきたのだ。お前がカラン様をお連れしたのか、賢いねえ、というトック爺の声が明るく響く。その声を聴きながら、ソンジュンとユニは手を取り合っていた。
「ヨリム先輩も人が悪いよ・・・俺は君がどんな病にかかってしまったのか、気が気がじゃなかったのに・・・。」
「トック爺が知らせてなかったのじゃなくて?」
「トック爺がヨリム先輩に大事なことを隠し立てするわけないだろう。」
「そうね、それもそうだわ。」
「コロ先輩だって、途中であったのに、何も教えてくれなかった。」
「サヨンは任務中だったでしょ、急いでおられたんじゃなくて?」
「急ぐどころか、隊列を止めて俺の胸ぐらをつかみに来たよ、叱られた。」
そしてユニの両手をしっかりとつかんで、ソンジュンは見つめた。
「俺たちの子が君の腹の中にいるんだね・・・体が辛い時に辛い思いをさせてしまった。ふがいない俺を、赦してくれるだろうか・・・。」