㊟成均館スキャンダルの登場人物による創作です。
ご注意ください。
ユニは少し疲れていたのかもしれない。熱は数日続いた。それも高熱が。チョン博士が診察したところで、腹具合も悪くなく、発疹があるわけでもないので、流行りの病ではなく、単に体力を落として体調を崩したのだろう、とジェシン達は聞かされた。熱が下がらないので夜間の見守りが必要だから、まだ部屋には戻せない。そう言われて、薬房の奥の板間にちんまりと寝かされているユニを遠くから眺めて帰るだけしか、三人にはできなかった。
ユニは、時折飲まされるせんじ薬、少しでも、と喉に流し込まれる重湯と湯冷まし、そしてその時にぐったりとしながらも布団をかまされて座る以外の詩聖の変化もなく、ただ眠っていた。昼も夜も覚えていない。時の流れは薬を飲む時間でしか判断できなかった。
夢を見た。優しい声で『中庸』の一節が流れて来る。君子はその位に素して行いその外を願わず・・・富貴に素しては富貴に行い、貧賤に素しては貧賤に・・・ああ、私は何もまだ身に付かず、何の徳も持っていない小さな存在なのに、そんな高尚な教えを言葉の意味以上に理解することはできません。人は富貴でないのに富貴であるかのようにふるまいたがります、逆に貧しいのに貧しくないふりだってします、知らない場所に行けば知ったがぶりをし、慣れないことを棚に上げて自分の知っていることだけが正しいとふるまうだろうし、辛く苦しい境遇に押しつぶされて、ただ恨めしく地べたから世を見るだけしかできないものです・・・いいのだよ、それが分かっているだけ君は素晴らしい理解を持っていると言えよう、人は少しずつしか学べず、進めない、焦らなくてよい、君は本当は健康で、これから沢山出来る事があるだろう、だから、ちょっと休息を取りなさい、そして、自分の置かれている場所で懸命に生き続けなさい、それで良いのだよ。
ユニが夢うつつに思ったことにすら、優しい声で答えがあった。正直、必死に暗記し、言葉の意味だけを把握しているようなものだ。先に知識、理解は成均館に入ってからの方が深まった。博士という人たちは、自らの儒学に対する思想をもち、それについての解釈を求め続けている。まだ意味があるのではないか、まだ知らないことが眠っているのではないか。その断片を与えられる毎日の講義で、ユニは思考することを学んだ。学べば迷った。どちらがいいのか、そう思ってあの男に聞けば、どちらでもよいのだよ、とほほ笑んで答えてくれた。正解はないのだよ、考えて導き出し、そしてまた考える、それが儒学だ、終わりはない。科挙はその終わりのない学問を究めるために必要な知識を確認するためのようなものだ。科挙で終わりではないのだよ。けれど学問を続けるかどうかの目途にはなるのだろうね。それはそれでよいのだよ。世の中、学者ばかりでは成り立たないだろう。博士になるのが正しくて、それ以外は正しくないわけはない、そういう事だよ。
手を伸ばしたらその手をとり支えてくれて、ああ、いてくださるのですね師匠、とユニは呟いた、気がする。冷たい、熱に火照ったユニの手を冷やすことができるほど冷たい手が、なぜか悲しいぐらいにユニの心を安らかにした。先生、師匠、と繰り返すユニに、少し眠りなさい、何か暗唱してあげよう、という声が聞こえたのが最後、ユニが少し気が付いたときには、誰もいなかった。幻だったのだろうか、夢だったのか、と思いながらまた眠りにつく。しばらくすると額に濡れ手ぬぐいが載せられた。いつも世話をしてくれている書吏のジュンボクが、少し下がりましたね、と囁く声がする。頷いて、あの人のおかげだ、先生のおかげ、と思いながらまた眠った。そしてユニの熱は下がっていった。
しかし、ひそかに、キム・ユンシクには死神がついた、との噂が流れた。アン・ドヒャンのせいだ。彼はユニを心配して夜中にふらふらと覗きに来たのだが、薄く開けた薬房の扉から見てしまったのだ。ユニの枕元に座り覆いかぶさるようにしている真っ黒な服を着た者の姿を。