㊟成均館スキャンダルの登場人物による創作です。
ご注意ください。
拍子抜けするほど、今まで通りの二人の姿がムン家にはあった。婚約は既に調い、ジェシンは最終の席次決定はまだとはいえ、官吏になることが決まっている。おめでたい事ばかりだ。殿試の結果発表が終れば親戚や小論の者たちが祝いを述べにやってくるのが分かっているが、今のところ平穏だった。ジェシンは多少自室を整理し、ユニはいつも通り屋敷内で暮らしている。今までより母のやっていた役割を代わりにやっているぐらいが変わったことで、屋敷の者たちも相変わらずお嬢様お嬢様と呼んでいる。
放榜礼までの間に、ヨンハから飲みの誘いが二回ほどきた。暇なのか、と思ったが、ヨンハは家業である商団の手伝いをさせられているらしく、逃げたいらしい、と遣いの下人が笑っていた。断っていいよな、と返すと、断っていただけると皆が助かります、とこれまた正直な返答が返ってきて笑った。これは顔なじみの下人だったからで、ジェシンも遣いを頼んだりとそこそこ世話になっているから、下人の望む返事をすることにしてやった。それをユニは隣でにこにこと笑って一緒に聞いていた。
「おやおや、まるでもうご夫婦の様ですねえ。」
気兼ねない間柄のヨンハの下人はそう言ってほほ笑んだ。勿論ジェシンとユニの婚約を知ってのことだ。ジェシンはユニと婚約が決まって以降、隠さなかった。余計な縁談が舞い込むのも嫌だったし、ユニに縁談が来るのも嫌だったから。
「一緒に育って来てるからな。ここにいるのが当たり前なんだ。」
ジェシンがしれりと言うと、ユニもにこにこ笑う。
「お兄様がようやく成均館からお戻りになったので、寂しくなくなりました。」
ほうほう、と鳥が鳴くように笑った下人は、ぺこり、と頭を下げ、これは参りました、と叫んだ。
「のろけられちまった。うちの若様には黙っておきますよう。うらやましがって文句を言いますからね。それだけならいいですけれど、せっかくのお休みのところをこちらに邪魔しに駆けつけて来るやもしれませんからねえ。」
「ああ、黙っててくれ。」
うんざりした顔でジェシンが言うと、下人はけらけらと笑って出ていった。心底うんざりした顔をしたのに怒りもしない。自分の若主人の面倒くささをよく知っているぜ、とジェシンはかえって感心した。
「お兄様、お兄様。」
ユニが袖を引く。なんだ、と顔を向けると、ひそひそ声でこんなことを言う。
「あのね・・・私とお兄様が、夫婦に見えるって・・・。」
嬉しそうに、けれど少しだけ頬を上気させているのは照れているのか。ジェシンもちょっとだけ照れ臭くなった。
「まあ。長く一緒にいるのは間違いねえからな。」
そう答えてやると、ジェシンは横に積んだ書物を本棚にしまい直そうと立ち上がった。ユニは隅に追いやっていた布を取りに行く。ヨンハの遣いの者が来たから、部屋の整理が途中だったのだ。かといってジェシンの部屋はたいして物はない。あるのは本などの紙類ばかりなので、水を使わずにからぶきをするのをユニは手伝っていたのだ。
棚に本を並べ直し、ユニが周囲を拭いている間に、ジェシンは小机の引き出しを開いた。そこには紙が何枚も入っている。ジェシンが書いた漢詩だ。もういくつあるのかなど本人すら覚えていない。請われて成均館文集に書いたり、儒生仲間との酒宴の席で興に乗って書いたものは世に出ているし、それをもってジェシンの詩才は既に知る人は知っているし、成均館の博士も、ジェシンの課題の答案などから、名文家である、というお墨付きをくれている。しかしそれらはほんのわずかな才能の露出だ。ジェシンの本当の心を詠んだ言葉たちは、全てこの机の中にある。それか、いくつかはその時読んでいた本の間に。
「お兄様、それはなあに?」
そうユニに尋ねられて、引き出しを開け放して物思いにふけっていた自分に気付いた。しまおうとしても、ユニはしっかりと横に引っ付いて覗き込んでいる。もう隠せない。
「詩だ・・・読みたいなら読めばいい・・。」
そう言ってしまった。