赦しの鐘 その34 | それからの成均館

それからの成均館

『成均館スキャンダル』の二次小説です。ブログ主はコロ応援隊隊員ですので多少の贔屓はご容赦下さいませ。

㊟成均館スキャンダルの登場人物による創作です。

  ご注意ください。

 

 

 その日はユニの顔を見なかった。屋敷には遅い時間に戻り、そしてそのまま成均館に帰ったからだ。屋敷から遠くはないが、歩いている最中にインジョンの鐘が鳴った。繁華街を歩いていたわけではないので人の気配は元から薄かったが、更に道が暗くなった気がした。

 

 成均館の儒生は、夜間の外出を規制されない特別な身だ。今ジェシンは誰に誰何されても堂々といれる。だが、10数年前、このような夜中に赤子を二人抱えた母親が、どうして外に出ることができただろうか。鐘が鳴った夜中。何が起こったかわからない騒動の中で、広くもない屋敷の中を逃げ惑ったユニの母を思う。

 

 両班とはいえ、地位や権力をもたない家の者にとって、権力側に誰何されることは恐怖だ。それが平民出身の捕り方だと分かっていても。今も王宮に近い成均館に戻る道すがら、時折見回りの下っ端の姿がちらりと目に入る。それが屋敷に押し入り夫を拘束するのを見て、それでも逃げる場所が家の中しかない両班の女人の悲しさを思う。ユニの母の精一杯を誰が笑えよう。その時はおろかだったと言われようとも、彼女は赤子に火が襲い掛からないように、必死に二人を抱えてうずくまったのだ。隠れ場所を探して。どうして自分が逃げなければならないのかもわからずに。

 

 今、ユニの本当の実家がある南山谷村は、この鐘の音がない田舎だ。都に居れば毎日なるこの鐘の音を聞かないだけでも、ユニの母はましなのかもしれない。鐘が鳴る時刻が過ぎたとき、彼女の夫が誤認で拘束され、挙句にそのどさくさで死んでしまうのだから。彼女の生活が、平穏を取り上げられたのだから。

 

 そんな母に育てられたユニの弟が、それこそ地位を得、権力を持つ側になるべきだ、とジェシンは思う。彼は母の悲嘆や苦労、後悔をよく知っているだろう。何しろ聡明そうであった。あの手紙を代筆しているぐらいだから、赤子同士で覚えてもいないだろうが、実姉が他家で暮らしていることも聞かされているのだろう。そんな風に、痛みを知るものが国を動かす場所に居なければならない、そう思う。では俺は、と時折かすめる自分のこれからが頭をよぎる。

 

 亡き兄ヨンシンが冤罪事件で連座させられたわけは明白なのだ。彼は優秀だった。特別に。王から期待をかけられ、その誠実な人柄から、これからの出世を約束されていた。老論側は、そんな若い芽をつぶしにかかったのだ。経歴に泥を塗ろうとしたのだ。死ぬとは思わなかったのだろう。その後の焦ったような、父に与えられる昇進がそれを物語る。上っ面だけの悔やみもあったようだ。だが、そんな風に出る杭を打ってばかりで、何が変わるのか、とジェシンには絶望しかない。今もだ。自分が特に優秀だとは思わないが、それでも小論という派閥を牛耳る父を持つ若者であり、人より目立つという自覚はある。兄だって、次期小論を支え、政権の中枢を老論から取り返すと期待されたのだ。王に気に入られるとは思っていないが、皆の先頭に立って派閥闘争をする気はジェシンにはなかった。ムン家が何だというのだ。兄が死んでから、ジェシンに矛先が向かった。ムン家にはまだ頼りがいのある子息がおられる。ムン家も小論も安泰だ、と皆簡単に言った。何が安泰だ。お前たちが、俺たちがこれから行く道をどうにか平らしてやろうとは思わないのか。兄が死んだのはその生だろう。お前たちが兄に思い切り働けないような王宮にしてしまっているのだ。腐った中に一人飛び込んだ兄を思うと胸が痛んだ。そしてそんなところに誰が行くものか、とジェシンはそっぽを向いたのだ。

 

 それでも、と思う。ユニの居場所をなくすわけにはいかない。それだけがジェシンの決意だった。崩れた生活をしながらも、崩れ切れないのは、やはりどこかで学問に支えられている自分がいることに気づいているからであり、ユニを守らなければならないという想いのせいなのだ。

 

 

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