㊟成均館スキャンダルの登場人物による創作です。
ご注意ください。
ユニはジェシンの部屋が大好きだ。ご本がたくさんあるから、と言って、良く出入りしている。それはジェシンが許可していることだから全く問題はない。ただ、隣にある亡き兄の部屋にも本があることを知っているのに、ユニは決してそちらに一人で入る事はない。
ユニにとって幼い、まだ十にもならない時に直面した初めての人の死だった。実の父親のことは幼すぎて覚えていないのだ。ただ、兄のヨンシンの死がムン家に知らされたときの屋敷の混乱状態の中、ユニはしばらく忘れられた。皆それぞれ・・・自分の中の悲しみや怒り、絶望に溺れてしまったのだ。両親にとってはもちろん大切な息子だったし、両親の期待に良く応えた息子だったのだジェシンの兄は。そしてジェシンにとってもいい兄だった。寛容で、可愛がってくれて、そして誰にも自慢できる優秀さと性格のよさ、皆幾晩も嘆き悲しみ、連れ帰られた亡骸を弔っている間、誰もユニの様子を見る余裕などなかった。
忘れられていたと言っても、食事や着替えなどの世話は下女たちによってされていたし、勿論葬祭に関わることは家族としてユニもその場にいた。大人しく、大人たちの中で縮こまるように。父とジェシンが言い争うことが増え、母が衝撃のあまり床から幾日も立ち上がれなくなっている間、その間のユニのことを、両親もジェシンもまるきり覚えていないのだ。
少し目が覚めた両親、ジェシンが見たユニは、何もしゃべらない子になっていた。
大慌てで医師に見せても、体は健康だと首を振られる。ムン家に起こったことを承知の医師は、心を痛めておられるのでしょうなあ、と日にち薬を強調して帰って行った。
「けれど食も細いんですの・・・。」
「お前も食べねばならぬ、夫人よ。」
そんな両親の会話をいらいらしながら12歳のジェシンは聴いていた。
「どうしたんだユニ。そりゃ兄上のことは俺だって悲しいし母上だって寝込んだだろ。お前が母上を元気づけてやってくれよ。」
そう言ってもユニは怯えたようにジェシンを見上げるばかりだった。
「なあ、何か言われたか、親戚が久しぶりに家に大勢きやがったからなあ。兄上が罪を着せられたときはみんなして知らんぷりしやがったのに。あいつらの言う事なんかひとかけらも信用すんなよ。」
服喪の間、ジェシンも屋敷内にいるしかなかった。父は後始末することが沢山あったようだし、母はユニのことを気にして比較的体を起こすことのできる午後にはユニを傍において髪をとかしたり、手を握って話しかけたりしているが、それ以外はジェシンがなるべく傍に居た。口をきいてくれよ。お前の声が聞こえないと、屋敷の中がまるで無人になったようだ、そうジェシンが頼んでもダメだったので、仕方がなく本を読んでやった。片っ端から。ユニは居眠りもせず、まっすぐに座ってジェシンの素読を聞き続けた。そしてある日、涙を一筋流したのだ。
「ヨンシンお兄様も同じように読んでおられました・・・。」
そう言ったユニ。声が聞こえて意味が分かったとたん、ジェシンは本を投げ出してユニを抱きしめた。
「そうだ・・・兄上はいつも朗々と読んでおられて・・・俺はその声を頼りに多くの本を読めるようになった・・・。」
お兄様の声はとてもおきれいでした、そうだな、良く響いた、私がお傍で座っていても叱らずにいてくださいました、お優しいからな兄上は、きれいな絵草紙を買ってくださいました。
ユニが物心つく頃、ヨンシンは成均館儒生だった。帰宅日には母に顔を見せに戻ってきていた親孝行なジェシンの兄。母の傍に居るユニを喜ばせようと、絵が綺麗な本や色とりどりのテンギを良く土産に持ち帰ってきていた。ユニの身の上を憐れんでいたのもあっただろうが、それでもあの真面目な兄がどんな顔でテンギを選んでいたのかジェシンにも想像がつかない。
ようやく声が出るようになって数日。悲しみのあまり、だったのかもしれない、と両親が一安心した中、ジェシンはその答えを疑っていた。本当か。確かに悲しみは心を壊す。ジェシンの心もまだ一部が真っ黒だ。だが、ユニは怯えていた。死にか?
それは、兄の部屋の本をみせてもらおう、とジェシンがユニの手をとり誘った時のユニの怯えようで違うと分かった。
どうした、と真正面に座って問い詰めるジェシンに、ユニは首を何度も降っていたが、支離滅裂ながら口をようやく開いたのだ。
「ヨンシンお兄様が亡くなったのは因果応報だと聞こえてきました。お父様が間違って・・・間違って私の父を殺したからだ、って・・・。」
あの小娘は得してるよ、貧乏南人の娘で終わるはずが、父親を死に追いやった大監が責任をとってこんな大きな屋敷でのうのうと。誰かがつじつまを合わせるんですよ、今回のことは任務のしくじりの帳尻合わせをヨンシン殿が負ったんでしょうなあ。あの娘を不幸にしたらムン家の名が廃りますしな、あの娘の代わりでしょうな。因果応報ですよ。