㊟成均館スキャンダルの登場人物による創作です。
ご注意ください。
普段からだが、昼餉は裕福な家以外には習慣ではないので、書院にもない。聞いたところによると、国の儒学校成均館にもないということだ。街では小腹が空けば軽食になる食い物を売っている屋台などはあるし、間食として食べることは多いから全くないわけではない。ただ、昼には昼餉を摂る、という習慣ではないだけだ。書院でも、午前のチェ先生との講義が終れば、長めの休息時間があって、先生にはそこで熱い茶を差し上げる。だが、若い儒生たちにはそれから午後の講義をこなして夕餉まで、という長丁場に腹はもたないと、ユニは一年目からよく知っているので、儒生たちには少しばかりつまめるものを用意してある。朝餉の時の飯の残りで握り飯。前日に作った芋のトックを使ってあんかけ状の汁。大したものはしない。大体は残り物を使っているし、ヨンハの家からの戴きものの中にはよく本物のトックを入れてくれているから、それでトッポギを作る時もある。前日に訪ねてきた先生の元弟子がくれた饅頭にするときだってあるから本当に軽食だ。それを腹に納めて茶を飲むと、彼らはまた先生との講義に戻っていく。
ユニは午前中、儒生たちが先生と学問に取り組む間、儒生たちが手をかけないところを掃除する。普段からしているから汚れることなどないが、その代わり毎日必ず箒をかけ乾拭きをする。厨は使うたびにちゃんと片付けるから心配ない。それが終れば、タライにつけておいたものを洗濯する。毎日するのは厨で使う布巾類。これらは一日が終れば熱湯で煮沸し、陰干ししてしまうので、今盥に入っているのはそのほかのものだ。今日は先生の単衣と肌着。数日分の手ぬぐい。手ぬぐいはご自分でいつも丁寧にすすぎ、部屋に干しておられるが、やはりきちんと洗った方がいいと奪い取ってくる。それらと共に、自分の使う手ぬぐいや前掛けなどを一緒に盥に入れて踏む。湯を使うから冷たくはない。それに湯の方が良く汚れが落ちる。水につけるときに汚れのあるところはつまみ洗いしてあるし、まず先生は泥だらけにならないから酷い汚れは絶対にない。自分の洗い物は、タライに入れる前に大体一度すすぎ洗いをしているから、とにかく踏むだけだ。いちに、いちに、と小さく号令をかけながら踏むのは楽しい。ユニは洗濯が大好きだ。
儒生たちが軽食を摂り午後の講義に行くと、ユニは束の間自分の時間を持つ。先生にお許しいただいて、学びの時間にしているのだ。儒生たちと同じように講義を受けるわけにはいかない。ユニはここでは使用人だからだ。俸禄だって頂いている。けれど弟ユンシクに素読を教え、簡単な解釈すらやってのけて育てたユニの学問へ才能を、チェ先生は認めてくれていた。本を読むこと、字を書くことを許し、何か聞きたい事があれば来るようにと学ぶことを勧めてくれた。おかげでユニは、先生の書架から本を借り、読みながら筆写して学ぶことをつづけた。字は時折先生が目を瞠るほど上達し、時に手本にせよと蔵書の中から能筆の者が書いたのを貸してくださったり、手持ちの掛け軸で面白い書体のものを見せてくださったりした。今日もユニは先生からお借りした本を筆写する。たった数頁でも、毎日続けることで、ユニはこの三年余りの間に何冊も筆写を終え、その本が部屋に積んである。それはユニの学んだ軌跡にほかならない。
しかしユニには仕事がある。半刻程一人学問の時間を終えると、さっと片付けて厨に戻る。その頃になると、畑仕事を終えた近隣の村人が青菜を届けに来たり、釣った魚を売りに来たりする。今日は決まって10日おきにやってくる行商の者が来る日だった。この行商人から、海でとれる魚の干物や、トウガラシやショウガ、にんにくなどの香味を求める。今回は持って来てくれるように頼んでいた。一度に無理だから、これから数回に分けて贖うのは白菜だ。盥いっぱいの白菜を洗って塩漬けにして、それから香味を使ってキムチを漬けるのだ。夏までの分を作りたいから白菜が取れる間、数回に分ける。どんなに保存に気を使っても、どうしたって暖かくなれば無理な時もあるから、出来るだけ食べられる期間が伸ばせるようにぎりぎりまで。
こんな風に、先のことが考えられる生活が、ユニには本当にいとおしかった。