㊟成均館スキャンダルの登場人物による創作です。
ご注意ください。
聞いてしまったのだ、ユニの叔父が人と話しているのを。
茶店に毎日訪れる事はない。まっすぐに屋敷に帰る途中、見慣れた背を見つけてふと立ち止まったソンジュンの視線の先を見て、スンドリがおおらかに、茶店のご主人ですねえ、と笑った。脇に紙に包んだ軽そうな荷を抱えて、彼はそこの店の主人らしき人と、店頭で話をしていた。その店は足袋や草鞋、安価な靴などを扱う問屋らしく、なるほどとソンジュンは頷いていた。茶店の軒にはいつも草鞋がぶら下がっていたし、丈夫そうなしっかりした生地の足袋も並んでいた。あまり売れているところを見た事はないが、それらのものが売れるのは基本早朝なのだという。店頭で急いで粥をすすり、贖った握り飯を荷に入れて慌ただしく旅立つ人たちが、そう言えば、とついでに買っていくのだと聞いた。街道は村や宿場でなければ店などないし、旅の最中に靴はすり減ってもったいないから草鞋を履きつぶす。草鞋は案外いいのだ。滑りにくいし、足首にしっかりと括りつけられる。雨の日や雪の日、道が砂地だったり泥濘になっていたりしても草鞋なら水でざあっと流して使えるし、履きつぶしてももったいなくないぐらいの値だ。予備を懐に入れていくのは、肌着の予備よりも大事なことなのだ。毎早朝に人を雇ってでもその商いを辞めないのは、一日で最も儲けのある時間だからだ。なかなか大変ですけどね、と店主は笑っていた。その草鞋の仕入れ先であろう問屋の主人に引き留められているのは、商売上の付き合いなのだろう、と声をかけずにソンジュンは行き過ぎようとした。
「うちのユニにですか・・・?」
ユニの名が聞こえて、ソンジュンは足を止めた。少し離れていても声は良く聴こえ、ソンジュンは少し建物側によって身をひそめるようにしてしまっていた。
「お嬢さんですよう。年頃でしょうが。儂は商売柄都の外に知り合いが多いんだがね、ちょっと南にある村の地主の総領がね、嫁取りの話になった時に、あんたのところのお嬢さんみたいな娘さんがいいと言いだしたんだそうですよ。何でも当主である親父さんの仕事を覚えるのに、ここの所都に来るらしくってねえ、立ち寄ったときにまあ、ぼうっとお嬢さんのことを眺めてるなあ、と親父さんも思ってたらしいんですよう。」
「ありがたいお話ですがね、ユニは預かっているだけで、儂の娘ではないんですよ。」
「存じてますって。まあ、正式に来た話じゃないんですが、お嬢さんに決まった縁談がないのなら、ちょいと身分違いですけどね、悪い話じゃないと思うんですよ。実の親御さんに聞いてみてくださいませんかね。」
「はあ。まあ。聞いては見ますが、本人がね・・・。」
「いやいや。縁談は世間を知っている大人が裁量してやった方がうまく行くんですって!」
ソンジュンはよろよろと軒下を離れた。屋敷に無言で向かうソンジュンを、おろおろとしながらスンドリが追う。
分かっていた。ユニはソンジュンより四つも上だ。先に大人になってしまう。ただでも娘の方が婚期は早い。ソンジュンだって両班の大きな家の子息だから、この年でもいくらでも縁談は来ているし、学堂でもすでに婚約者がいる似たような年頃の者は何人もいる。
はた、と立ち止まったソンジュンは、また再びしょんぼりと歩き出した。
そうか、婚約すればいいのだ、と思ったそのすぐ後で、父親の顔が浮かんだのだ。婚約をせかされた事はない。独り立ちするまでは学問本位で居たいと言ったソンジュンに、父親が何ら文句を言う事はなく、すんなりとそれは了承された。だがそれは勝手をしていいという事ではないのだ。時期が来れば親が勧める人を妻として迎える、それが分かっていればいい、という事なのだ。おそらく同じ派閥老論のどこかの家の娘。年の釣り合いの取れて、母に従順な娘であればいいのだろう。それが当たり前として生きてきた父親に、たとえ両班の娘だとしても、野で知り合った人がいいです、などと言えない。ソンジュンには、言えないのだ。