㊟成均館スキャンダルの登場人物による創作です。
ご注意ください。
「まあ!」
嬉しそうに駆け寄ってきたユニを見て、ジェシンは踵を返しそうになったが、はっしと腕をつかんだヨンハのおかげで醜態をさらさずには済んだ。だが、ヨンハのへらへらした声を聴いたとたん、その手を振りほどきながらすねを足蹴にしてやった。
「いたいっ!痛い、何で蹴るんだよ~!」
気に入らねえからだ、とは言わなかった。ユニが目の前まで来たからだ。
「来てくださったのね。叔父と叔母も挨拶をしたいと申していましたわ。とにかくまずお座りになって。」
少し時刻を外して行ったのは正解だった、と数組いる客を眺めてジェシンは思った。学堂後すぐだと、自分も通う学堂の少年が、毎日誰かが入れ替わりに立ち寄っているのを知っているからだ。皆少年故毎日寄り道をするわけにはいかない。なんだかんだ言っても親の監視下にいる立場なのだ。懐の金だって親からもらわねばならない、そんな身なのだ。それでもこの茶店に寄り、少しだけ自分が話す機会などめったにない、年上の令嬢と言葉を交わすこと、それは少年にとってとんでもなく刺激的で、ちょっとばかり大人になった気分にさせてくれることなのだと、同じ学生の身分であるジェシンはよく理解できる。だからこそ皆長居はしない。茶を飲み、食いたい者は餅菓子を一皿頼み、そして屋敷に帰る。だから少し時間を置くと、学堂の者はほぼ茶店からいなくなる。
それでも、と席の一画を占めている一組の主従の客をジェシンは見て取った。それは逆に言えば視線を感じたからだ。数度すれ違う程度で顔だけは知っている、老論の学堂に通う天下の神童が茶碗を手にしながらじっとジェシン達を見ていた。
「へえ、イ家のお坊ちゃんもこんなところに来るんだな。」
そう囁いたのはヨンハだった。自分たちよりも二歳か三歳年下の少年。だが、大層な秀才だという噂は両班の界隈には知れ渡っていた。彼はその上に父親自体が権力者だ。その後継者が父を凌ぐほどの才がありそうだ、など、同じ派閥の者にとっても敵対派閥にとっても非常に重要な情報なのだ。
「・・・あいつの勝手だ。放っとけよ。」
ジェシンはそっぽを向いた。奴がジェシンを見ている理由は知らないが、ジェシンはイ家の子息とは話しなんぞしたくない。敵対派閥老論は兄の敵なのだ。兄を無実の罪に陥れた。派閥自体が敵で、イ家の子息が何をしたわけではないのは理性では分かっているが、その派閥の親玉が彼の父なのだ。何か言葉を交わせば絶対に感情的になるのはわかっていたし、自分の父にも騒ぎを起こすな、ときつく命じられている。母が心配する、と言われたら、今のジェシンにはどうしようもない。だから関わらないに限るのだ。
そんなジェシンのところに、ユニはまず叔父であろう壮年の男を伴ってきた。叔父様、この方が先日私を助けてくださったの、ムン・ジェシン様、と言いながら。男は道袍などは着ていないし、頭には笠も被らずその代わりきっちりときれいな布の網巾を巻いていた。仕事着で失礼します、と笑顔を浮かべるユニの叔父は、なるほど叔父なのだな、と分かるほどには目元がよく似ている端正な顔立ちだった。
「キム・ユンソクと申します。この娘の叔父にあたるのですが、話を聞いて本当に胸をなでおろしました。あなた様のおかげで姪は無事でございましたよ。本当にありがとうございました。」
きちんと頭を下げられて、ジェシンは慌てて立った。年上の人の挨拶を座って受けるわけにはいかなかった。それも同じ身分の。
「たまたま通りがかっただけです。お礼を言われるほどじゃ・・・。」
「いえ、怖かったと申しておりました。その晩は私の妻の布団にもぐって寝たようですよ。」
「叔父様!」
ユニが真っ赤になったのが分かった。気丈にふるまっていたように思えたが、やはり怖いものは怖いのだ。それでもさっきから少しお姉様ぶっていたから恥ずかしくもあるのだろう。叔父の腕を覆う布を引っ張って抗議するユニがやたらかわいらしく見えて、ジェシンは身の置き所がなくなってしまった。