華の如く その150 ~大江戸成均館異聞~ | それからの成均館

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『成均館スキャンダル』の二次小説です。ブログ主はコロ応援隊隊員ですので多少の贔屓はご容赦下さいませ。

㊟90万hit記念。

  成均館スキャンダルの登場人物による創作です。

  作品舞台及び登場人物を江戸時代にスライドしています。

  ご注意ください。

 

 

 友造に陽高の屋敷の門前で別れた在信。すっかり夜となった辺りを見回し、静かで誰もいないことを確かめてほっと吐息をついた。朝木道場の弟子数人は、友造が声をかけて連れて帰ると言ってくれたので、在信はもう屋敷の中に入ればいいだけだった。

 

 門番の下男がこちらを見て頭を下げた。在信は、遅くに悪いな、と一言ねぎらってくぐり、そして閂がかけられるのを確認してから玄関先に向かった。引き戸を開ける前にもう一度振り返る。目線はすうっと上に上がり、広がり始めた星空を眺めた。

 

 江戸、新宿(にいじゅく)の金本道場で、与えられた長屋に戻る時、同じように夜空を眺めることもあった。そんな時、コトコトとまだ音がする台所から漏れる淡い灯がないことが、今在信を不思議な気持ちにさせる。

 

 決して長期間金本道場にいたわけではない。数か月。だがその数か月の間に、在信の胸を暖めるものが出来てしまった。あの台所の音はその存在の象徴。また明日もそこにいる人と過ごす時間があるという安らかな気持ちをくれる、そんな灯の色、生活の音。数歩歩いて勝手口を開ければ、振り向いた顔に輝く黒い瞳。

 

 待っていると言ってくれた由仁の声を思い出す。朝木に戻ってきて、在信は数人を刀で斬り、そのうちの一人は死んだ。深々と腹を撫で切った後、あの馬庭念流の男は苦しんでから息を引き取った。他数人は二度と剣で生きていくことはできないだろう負傷を与えた。見た目は治っても、後遺症が残るほどに剣で容赦なく叩いた。そんな男でも待っていてくれるだろうか。

 

 陽高を守ることは在信の使命だ。剣をもって守らねばならない武士の定めだ。だが、この太平の世で人を実際に切ることを想定して剣を学ぶ武家はいないだろう。武士のたしなみの一部となり果てている剣の道。実際に遣うことがあると考えているのは、例えば奉行以下の与力同心など、荒事が想定される部署につく家に生まれたものぐらいだろう。在信とて人を切るために剣を振ってきたのではない。だが実際刀を抜くということは人を傷つけ、殺すことがあるということだ。その場に置かれた在信は戦わねばならなかった。それでも手に残る人の肉を切り割る、骨を砕く感触を持つ男を、人を殺めた男を、由仁さんは。

 

 

 待っていてくれるか?

 

 

 瞬いたように見える星空をにらみつけて、在信は屋内に入った。由久が廊下を行儀悪く駆けてくる。激動の一日を終えて興奮しているのだろう。その跳ねるような肩をぽんぽんと押さえて、在信は陽高の居室に向かった。

 

 

 

 由仁は勝手口の外に出て立ち、胸元を押さえて空を見上げた。今は星空が広がっている。そしてまた強く打つ鼓動に戸惑っていた。

 

 静かな道場の敷地内には虫の音以外の音はない。朝の早い道場の暮らしは、自然に皆を早寝の習慣に馴染ませ、由仁も朝餉の下ごしらえを済ませて、片付けを終えたところだった。いつもならそのまま灯を消し、奥の自室に引っ込むだけだ。なのになぜか足は下駄をひっかけ、勝手口を開け、空を見上げている。耳には虫の音しか聞こえていないはずなのに、鼓動と共に体に響いているのは一人の男の声。

 

 『由仁さんの下に帰る理由を俺に頂けるか』

 

 この胸の高鳴りの理由があなたなら、私もその理由をあなたにはっきりと頂きたいのです。由仁はそう星空に問いかけた。どうして空を見上げるとあなたの言葉が体中に響くのか。どうしてその言葉と共に鼓動が高鳴るのか。あなたが理由なのか。それともあなたのことを考えてしまう私が理由なのか。教えてください、在信さん。

 

 優しい人は沢山いる。けれど、由仁は草履の鼻緒が切れたときに跪いて手当てをしてくれたあの背中の頼もしさを、ユニの手を引いたその掌の暖かさを忘れない。道場できりりと立つ姿も、その修行の成果をもって由仁達の前に立ちはだかって戦ったあの夜の姿も忘れない。短い間に在信という男は、由仁に消えないものを沢山与えた。何人も出入りしてきた道場の弟子の中に、そんな人はいなかった。

 

 『必ず帰ってきてくださいね』

 

 そう。傍に居て。私が傍に行ったらいいですか。あの道場が襲われた日、あなたの無事を実感したとき、体も心も震えたの。私はあなたの無事を、この目で見ていたいのでしょう。あなたの暖かさに触れていたいのでしょう。だから帰ってきて。そして私を。

 

 攫ってください

 

 また高鳴った胸を押さえて勝手口を閉めた由仁。静かに自室に戻る足音を、父が苦笑しながら聞いていたことは知らないままだった。

 

 

 

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