仁術 その35 | それからの成均館

それからの成均館

『成均館スキャンダル』の二次小説です。ブログ主はコロ応援隊隊員ですので多少の贔屓はご容赦下さいませ。

㊟成均館スキャンダルの登場人物による創作です。

  ご注意ください。

 

 

 ジェシンとユニの『文通』は緩やかに始まった。

 

 医院にユンシクがいる間は、ジェシンが医院を出てから数日というところだったので、二人が家に戻ってから始まったのだ。驚いたのは、その遠さだった。

 

 

 

 南山谷村、という場所に、ジェシンは心当たりがなかった。そこにたどり着くまでの数か所の地名を確認して、方角は分かった。病身のユンシクが父親に背負われて医院に来た時のかかった時間など全く参考にならないので、請われてキム家に往診に行ったことのあるだろう医師に聞いてみたら、大人の男の脚で二刻はかかる場所だという事だった。

 

 ユニが弟を背負う父親の後ろを、荷を胸に抱きしめて歩いたのだろうと思うと、居ても立っても居られない気持ちになった。帰りはどうするのだ、と聞くと、歩きます、とユンシクは明るく言う。

 

 「ゆっくりと歩きます。父が迎えに来てくれるそうなので、一日かけて帰ります。」

 

 「・・・ユニ殿も歩かれるんだよな・・・。」

 

 父親が来ることで一つ安心はしたが、足弱な娘を一日歩き回らせることが、両班の暮らししか知らないジェシンには信じられない。ジェシンにすれば、家にいる唯一の女人である母など、家から出たことすら覚えがないというのに。

 

 「姉上はとっても健脚なんですよ。僕の薬を取りに何度も都に足を運んでくださってきました。」

 

 ちょっと待て、とジェシンはユンシクの言葉を掌で止めた。ちょっと頭がついていかない。ユニ殿が、都に、薬を取りに、歩いて。

 

 

 

 そのジェシンを混乱させたユニの行動の大変さは、手紙のやり取りを始めてから、下人から知らされた。ユンシクの疲れも考え、ジェシンは最初の手紙を何日か置いてから遣いに指名した下人にもっていかせたのだ。大体の時刻も決めてあったし、天候のことも考えていた。晴れた日の朝。朝餉や洗面など朝の一回りが終わった後に近所を歩く。その時に間に合うよう、下人に一度下見に南山谷まで歩かせたところ、久しぶりにこんなに歩きましたとへとへとになって帰ってきたのだ。

 

 「若様・・・。真っ暗な時刻に出ないと間に合わねえです。屋敷の執事さんに若様から言ってくださらないと、出してもらえないかもしれないです・・・。」

 

 成均館までやってきて報告する下人に、大事になるのは、とは思ったが、後から腹を探られても困るので、ジェシンは下人を束ねる執事にその下人の行動を頼み込んだ。医院にいる時にできた友人に、小科を受けるよう唆した責任がある、時折様子を確認する約束をした、とある程度正直に伝えた。早くにいけば、午後には戻ってきて下人は屋敷の仕事ができると、執事は案外あっさりと許しをくれたので、この件はひと段落したが、やはり大の男でもくたびれたというその往復を、ユニが医院に来る前から薬を受け取るために何度も歩いていた、その事実が胸に重い。あぶねえじゃないか、怖いことはなかったのか、辛かったんじゃねえのか、頼める人は他にいなかったのか。今より幼い、本当に少女のユニが一人街道をとぼとぼと歩く姿が目に浮かぶ。

 

 それでも手紙にそこは書けなかった。ユニの行動はおそらく必要なもので避けられなくて、しなければならないことだったのだろう。ジェシンに非難することなどできるわけがなくて、手紙には以前ユニに話したことのある、漢詩の『子衿』を書き、その意味とジェシンの感想を軽く書いた。ジェシンの考えを押し付ける気はないのだ。詩は読むものがそれぞれ感じるもの。ジェシンはこの詩の若々しい文字の使い方と同じ音が繰り返される軽やかさが好きだったが、文字に強いユニなら違う感想があるだろう。そう思ったから。

 

 下人は上手くユンシクに会えたらしい。入れ替わりにユニの手紙を持ち帰ってきた。勿論ジェシンの手紙と交換みたいなものだから『子衿』についてのユニの感想は書かれていない。医院を出てからのユンシクの様子を簡潔に書いてあり、家に戻って少しほっとしている、とも書いてあった。よく眠れます、という言葉の裏に、どれほどあの他人の家で緊張して暮らし、弟のことを心配して過ごしていたのか、そう思うと医院で立ち働いていたことは気晴らしになっていたのかもしれない、とさえ思う。

 

 いつ来られるかと毎日懐に入れていたので、とユンシクが断った通り少し皺のついたユニからの最初の手紙は、目の覚めるような美しい文字が連なり、内容よりもユニそのものがそこにいるように感じられたものだ。

 

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