㊟成均館スキャンダルの登場人物による創作です。
ご注意ください。
懐かしい夢を見た。
ユニはくるりくるりと首をあちこちにひねらせた。静まりかえる緑の木々に囲まれた庭。見覚えのある建物。ここは、成均館。そう思って自分を見下ろすと、かつて毎日着ていた儒生服が白く輝いていた。
時刻は夜半過ぎだろうか。何しろ静かすぎる暗闇の中、淡い月灯りだけがユニの視界の助けだ。そして知っている場所だという心強さ。けれど胸はなぜか激しく動き、何かを教えている。くるりくるり。ユニはまた首をあちこちに向けた。
聞こえてきたのは呼子。男の叫び声。あ、と思った時、どさり、とユニの目の前に黒い人が一人、落ちてきたかのように倒れこんできた。
がばっと起き上がったユニ。あの日の夢。見たことなどなかったあの夜の夢。サヨンが、旦那様が、あの頃赤壁書という義賊本人で、義賊とはいえその時の権力に逆らう檄文を貼りつけて回る治安を乱すものとして追われる立場の人だと初めて知った夜。そのままユニを無視して逃げても良かったのに、わざわざ目の前で覆面をとってにやりと笑ったのは、自分が負った負傷が重いものだとわかっていたせいなのか。
その後のことをユニは切れ切れにしか覚えていない。追手の声が成均館の塀の向こうから聞こえ、ユニはジェシンに肩を貸して慌てて碑僕庁に入った。そこに連れていけとジェシンが言ったからだ。いつも一人で手当てするのだと。そこにある乾燥煙草を傷口に押し付ければどうにでもなるから、と言われたって、座り込んで動く力もないジェシンを放っておけるわけもなかった。探し出した煙草を一つかみ押し付けるために衣服を開いたら、そこには内臓も出てきそうなほどの深い傷。必死の思いで煙草の乾燥した一握りを押し付けると漏れるうめき声。見上げた顔は真っ青で、真っ白で、冷や汗か脂汗かわからないほどに顔は濡れていた。
それでもジェシンはユニを見て笑ったのだ。ユニはその時風呂に入れない代わりに一人で体を拭いたり水を浴びたりする場所で髪も洗ったところだった。しっとりと濡れて、髷に簡単に結っているため乱れて顔の横に張り付いたおくれ毛を、ジェシンは震える指に一周巻き、二周巻き、そして笑った。ユニの涙の幕を張った瞳でもわかるほど、優しく優しく笑ったのだ。
怖い怖い、とユニは自分の体を抱きしめる。ジェシンは今、居なかった。暗行御史ではないが、緊急に命じられて、地方の両班を捕縛に向かっている。訴えがあったのだ。租税を決められたもの以上に取り立て、私腹を肥やし、民を苦しめている県令がいる、と。若手の官吏が暗行御史として行ったのだが、隣県で死体で発見された。ただ、その官吏は、行方不明になる前に、証拠となる文書を都に発送していた。租税の代わりに売られたというその地方の者たちも、数名保護でき、県令とその取り巻きの官吏がした悪事は明るみに出ていた。まず彼らの都の屋敷が封鎖され、そしてジェシンに命が下されたのだ。
兵も連れて行った。大丈夫だ。ヨンハやソンジュン、ユンシクも慰めてくれた。少し遠いから半月はかかる、ジェシンもそう言った。もう約束の日は過ぎたのに、まだユニの大事な旦那様は戻ってこない。
ユニはその後、しばらく眠らなかった。眠ったらまたあの夢を、ジェシンが深い傷を負った夢を見そうで。
ジェシンが戻ったのは出立してひと月経った頃だった。無精ひげを生やして、王様にその恰好でお会いになったの、と驚くほどぼさぼさの髪で帰ってきた。衣服はとりあえずきちんと整っていたのだが、どうもそれは、王宮内でジェシンを出迎えたソンジュンが慌てて直してくれたらしい。髪までは手が回らなかったようだ。
ユニは黙ってジェシンを着替えさせた。無言で脱がせていくユニに、ジェシンは何も言わなかった。するすると肩から落ちていく道袍、チョゴリ、肌着。そして現れた肌。まず見たのはわき腹。ひきつったように残る傷跡はあの夜のもの。みぞおち、胸元、と上がって行って、くるりと周りをまわろうとしたユニの目に移ったのは長く細い傷。
「矢傷だ。かすっただけだ。服すら破けなかったのに、まるでやけどをしたかのように痕だけがミミズばれのように残った。」
他には何もない。何もねえよ。
そう言って、ジェシンはユニを優しく抱きしめた。
後に確かめると、ジェシンが傷を負ったのは、ユニが夢を見たあの晩だったらしい。周囲の不穏を感じて遁走した県令と数人を追って、思いのほか遠くまで行かねばならず。本来なら帰途についているはずのその夜、ようやく宿を急襲したのだ。その時、苦し紛れに射てきた矢が一本、ジェシンの腕をかすめた。その矢を射たものは、ジェシンに腕を叩きおられたらしいが。
「お前を置いて死にゃあしねえよ。知らない傷も、金輪際作らねえ。」
ユニはジェシンがそう思ってくれているのは知っていたけれど、それでもその日から、毎年ジェシンに口を出して誓ってもらうのだ。言霊にすらすがっても、ユニは大事な旦那様である愛する人といつまでも一緒にいたいのだから。