㊟成均館スキャンダルの登場人物による創作です。
ご注意ください。
ヨンハがバーにきたのは、ちょうどライブが始まるところだった。ジェシンがピアノの音を少し確認したり、ユニがマイクのスタンドの調節をするちょっとした準備の時間にするりと入ってきたらしい。ふと視線を感じてカウンターのマスターの方を見ると、その真ん前の席に見慣れた悪友の白い顔があった。その隣には少し小柄な青年。今日はプライベートな食事だからだろう、学生らしいカジュアルな格好をしているのだけは見て取れた。
ヨンハのにやりと笑う顔にしかめっ面を返しておいてやった。流石に長年の付き合いになる。意味ありげなあの笑みが、ユニのことを指しているのはまるわかりだ。おそらく、へえ、かわいいこじゃん、隠してたな、ってところだろう。おそらく、じゃなく絶対だ。そう胸の中で予想したヨンハのからかい交じりの声音に、うるせえ、とこれも胸の中で返事を投げつけて、ユニの準備が整うのを待った。
最近、ユニはマイクが満足いくポジションにセットできると、ジェシンの傍に来るようになった。二曲目のあとちょっとだけトークを入れるわ、三曲目の紹介に、とか、間奏のアレンジ、もっと入れてくれてもいいのよ、だとか、スタジオで合わせた後に思いついたことを伝えに。そんな急な変更もライブのだいご味だ。けれどそんな伝言がないときだってユニは傍に来る。ただ、今夜もよろしく、とだけを言いに。そんな日もある。わかった、気が向いたら、ユニさんももっと節を回したって面白いぜ、などと短く応じるときもあるし、黙って目を合わせるときもある。それだけでも十分演奏を最高のものにしようというお互いの胸のうちが確認できて、ものすごく興奮できる。
今夜もユニは傍にきた。そしてにっこりと笑った。
すごく・・・のどの調子がいいの。気分も最高・・・三曲目をあの曲にしちゃ、ダメかしら?
ジェシンは黙ってピアノの鍵盤に手を置き、前奏の一小節を右手だけ弾いて見せた。
俺も、指が走るよ、今日は。
ん、とまた笑って見せたユニはくるりとフロアに向かって振り返った。琥珀色のブラウスは、膨らんだ袖がカフス以外は全部透けていて、細い腕を巻くその薄い布が勢いでふわりとたなびいた。プリーツのロングスカートは両サイドが膝上あたりからスリットが入っていて動くたびに足がちらりと見え、黒いハイヒールが色っぽくその姿をまとめ上げている。スタイルまで、今日は歌う気満々だ、とジェシンは肩をぎゅ、と上に上げてからすとんと力を抜いた。
全力で来る歌姫には全力の伴奏、だよな。
首を回して鳴らし、指を握って開いて指も鳴らす。どこからでも、さあ。
二曲を演奏し終わり、拍手をもらいながらユニはマイクをスタンドから外した。三曲目なんですけど、とユニがマイクを握り直して話し出すと、フロアはしん、と静かになった。
「ピアニストが思いもかけないことで変わって、もうだいぶたちます。いつも素晴らしい伴奏をしてくれるムン・ジェシン君。私ね、彼が弾いている曲を聴いて、歌いたい曲が・・・増えたんです。」
うふふ、と首をかしげて笑ったユニがジェシンの方をふり見た。
美しい、笑顔だった。
「女性である私にはやっぱり歌いやすい曲というものがあって・・・でも歌いたい曲は歌いやすい曲とは限らないでしょ?最初からうまく歌えないのなら聴くだけで、っていうスタンスできてたんです。彼はね・・・ジェシン君はね、私の伴奏をするのに、弾いたことのないジャズのリズム、スウィングをね、私からすれば十分にこなしてくれてるのに、いろいろ勉強してくれたんです。新しいことに、チャレンジしてくれたの。そのうちの一曲を弾いているのを聴いて、それが私が好きだけど歌うのを避けてた曲だったの。」
フロアにもその笑顔は向けられた。
「思わず鼻歌が出ちゃった。ジェシン君、本当に楽しそうに弾いていて・・・。リズムがどうなんて問題じゃないのね、聞いている私が歌いだしたくなる、そんな演奏。さあ歌って、って誘われた気がしたの。」
だから。
「今日はジェシン君のお誘いに乗って・・・一曲、歌わせてください。」
ひゅう!と指笛が鳴った。