自分の伴侶が高く評価されているからだと分かってはいる。有能だから、賢く立ち回れるから、そして王様への忠誠心が認められているからだと理解はしている。その上での任務、それがアメンオサだ。
ユニの夫ムン・ジェシンは、官吏になった一年目からアメンオサに派遣されるという、出世する者の義務であるかのようにこの任務に定期的に任命される。地方の行政や役人の不正、交易に絡む癒着など、中央がはっきり掴むことのできない状態をその目で確認し、証拠、証人を確保し、そして捕縛する権限をもって出立するのだ。その行き先は家族にすら告げてはならない。命じられたら、その場で馬牌という王の勅令を持った役人としての身分を証明する札一つを身につけ、そのまま都を立つのだ。家には、お役目に着いたことだけしか知らされない。
もう何度目かしら、とユニは夫がまだ一度も手を通していない真新しい道袍を抱きしめてため息をついた。すでに出立を知らされてひと月立つ。次男が一歳の誕生月を迎えたときに丁度ジェシンはいなかった。そういえば、次男を授かったとユニが身体の異変に気づいたときも、旦那様はどこへやらに派遣されていてすぐにお知らせできなかったのだったわ、と思い出したユニ。
ユニの毎日は、ジェシンがいなくても結構忙しい。長男も次男も幼く手がかかり、下女や乳母がいるとはいえ、やはり成長の様子や躾には自らが手をかけなければならない。それに、家の中の采配は、いまやほぼユニが主体になっている。ジェシンの母は、少し身体を壊していた時期があって、家計の賄いのことなどは殆どジェシンの父と執事が管理していたし、下女も自ら働く者が多かったので手もかからなかったようだ。けれど、それではやはり気の緩むこともあったようで、女主が家内の事は指図する、という本来の形に戻す役目をユニは仰せつかったようなもので、この三年ほどの間に、子を産み育てながらもユニは立派に主婦としての仕事をやり遂げてきている。
だけど、とユニは道袍を撫でた。
夜は、ユニは夫のためだけのユニになるのだ。幼い子達の面倒も、どんなに夜泣きが酷かろうと、乳母と下女に任せるよう夫は最初に決めてしまった。よほどのことが無い限り、夫はユニの内棟の部屋で寝む。毎晩閨ごとを行うわけではない。ただ一つ布団に入り、寄り添って眠ること、其れが夫の望みなのだと知って、ユニは子供が病でない限りは、夫と共に寝み続けている。
夫の本当の気持ちははっきりとはしらない。けれど、夫の胸で眠るのは、心からの安心感をユニに与えた。官吏である以上、当直もあるし、忙しさに帰れない日もある。けれど、ユニの布団には、もう夫の香りが染みついていて、ユニはそんな日でも夫に抱かれているような気持ちで眠ることができるまでになっていた。
ユニが嫁いだこの屋敷。下男下女の事も把握し、夫の両親に仕え、可愛がられ、我が子と暮らす家族の家。どこでもどの部屋でもユニがいるべき場所のはずなのに、それでもユニにとってこの屋敷はどこか現実味がないというか、他人のものの様な気がするのは、やはり嫁に来たせいだろうか。けれど、絶対にユニの場所だけでなければならない所、其れがジェシンと眠るこの内棟の部屋、そして布団の中だ。
ユニをずっと守り続けた香りがそこかしこに染みつき、香りだけでユニを守ってくれているような気がする。
道袍には、まだ夫の香りがない。だから寂しさが募るのだわ、とユニは道袍を行李の上にそっとおいた。寂しさの元凶からは離れておかなければならない、そんな気がしたから。
皆は、夫がユニにべた惚れだという。あんなに優しい夫は見たことがないという。けれどユニにとっては、最初から優しくて、最初からユニの見方で、最初からユニを守ってくれた人だ。どうして皆はそんな事を言うのかしら、と不思議で仕方がない。
ああ寂しい。早くお帰りを・・・そうでないと王様を・・・アメンオサの命を下された王様を恨んでしまいそうです・・・。
夫がべた惚れだと言うのなら、ユニだってそうだ。こんなに、香りにまで固執するほど、夫に焦がれている。
無精ひげを生やした夫が、不正を働いた地方役人を一人で捕縛して一人で解決したという手柄を背負って帰ってきた時、下人達の前で飛びついてしまったことで、若奥様も若旦那様に案外べた惚れだと皆が認識を新たにするまで、それからふた月ほどかかったのだった。