ようやくユニが現れたのは四日目の事だった。自分でも、荒れもせずによくぞ我慢強く待ったものだと思ったジェシン。
母はジェシンには甘いが教育にはあまり関与していない。両班の子息としての教育を始める時期も、その進捗を見るのも父の仕事だった。そこに甘さは一片もなかった。ジェシンの年の離れた兄は、身体は弱いが大層な秀才で、父の自慢の息子だ。ジェシンも兄を見習うよう父にしつこく言われながら学問を始めたが、ジェシン自身は優しい兄が大好きなので兄のようになれと言われることは厭ではなかった。実際、学問はさすが兄弟と言われるほどにはできたのだ。違うのは人当たりのいい兄と違って、少々腕白坊主だったこと。しかし、これも次男だと言うことで結構お目こぼしされている面があったから、甘やかされているわけではないが、恵まれた生活をしている両班の子息なりの勝手さというものはジェシンも持っていた。
人から待たされるなど初めての事だ。けれど、ユニの事は待てた。事情を知っていたからということもある。異性だから勝手が違うという面もあった。けれど一番はジェシンがユニを気に入ったからなのだ。特にその美しさに。美しいと言う言葉が似合うほどの年齢の少女ではない。他の大人なら、可愛らしいとか可憐な、というような言葉を選ぶだろう。しかし、ジェシンのユニに対する一番の言葉は、『美しい』だ。
川の中の芹をとろうとする真剣な横顔、川から助け上げたジェシンを見上げた大きく黒い瞳。拭いてやった白く小さな足。おすまし顔で立ったその真っ直ぐに伸びた背。木漏れ日に輝く黒髪と後れ毛に縁取られた秀でた白い額。それら全てを浮き立たせていた緑濃い山、岩勝ちの小川のせせらぎ。あの場所で出会ったユニは、ジェシンの前に突然現れた自然の美、そのものなのだ。
四日もユニのその姿を脳裏で温めて、温めすぎて、もしかしたら少し美化しすぎたかも知れない、とは思ってはいた。けれどそんな心配は道の向こうから現れた細っこい人影を一目見たとたん霧散した。
ジェシンは振り回していた薪木剣を握ったまま走り出した。とことこと歩いてくるその速度がもどかしかった。何しろ四日目なのだ。少しでも早く会って、少しでも長く一緒にいなければ。中々近づかないその姿に焦れたジェシンの足の速度は速かった。
「おい!」
と走りながら叫んだ。こちらを見ていたユニの足取りの速度が上がったのがわかる。さすが両班の娘だ、ジェシンのようには叫ばなかったが。たちまち縮んだ二人の間。はっきり見えたユニの表情が笑顔である事に、ジェシンはほっとして足を緩めた。
そして思う。その日は良く晴れていた。あの山の中の小川のほとりのように、少し陰っていて木漏れ日の光が散っているような背景ではない。明るい日差しがあった。けれど、その明るさの中でもユニは輝いていた。黒髪は益々美しく輪を輝かせ、額は白く光る。ジェシンを見て微笑んだ瞳は輝き、笑んだ口元が描いた弧は薄桃色に色づいていた。やはり彼女は美しかった。
「こんにちは、ジェシン様。」
自分の名が薄桃色の唇から流れ出るのを聴きながら、ジェシンはユニの側にたどり着いた。おう、と短く答えて、隣に並ぶ。こっちだ、と顎をしゃくると、見上げてきたユニがうふふ、と笑った。
「中々出るお許しが貰えなくて・・・。もしかしたらジェシン様はもうお待ちくださらないかと思っていました。」
あ、という口の形を自分が作ったのがわかる。何を言ってる?俺がお前を待たないとでも思っていたのか。ユニを待つことになんの疑いも持っていなかったジェシンにとっては心外だった。
「でも・・・走ってきてくださって、とても嬉しかったの。待っていてくださったのが分かりました。お優しいんですね、ジェシン様。」
文句を言おうとした口は、あ、の形から変えることができなかった。嬉しいって?優しいって、俺が?へえ?誰にも言われたことのない自分への言葉に、返答の仕方なぞどこからも出ては来ない。
「このまま林の中に入っていけば良いんですね?遠いのですか?」
あ、の口のまま頷いたので、おう、といったつもりが、あう、になったのにも気づかず、ジェシンは案内どころか隣を歩くユニに先導されるように雑木林の中の小道に入っていくことになってしまっていた。