本物の愛 | 父親に恵まれなかった僕が考える『カッコいい親父の背中』の作り方

父親に恵まれなかった僕が考える『カッコいい親父の背中』の作り方

借金を作って蒸発してしまった父親と
独特な教育論を持った母親と、
いつでも青春真っ盛りな僕がおりなすストーリーです(^^)

おはようございます(・∀・)
愛飢男です(・ω・)


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今日は「本物の愛」というテーマで書いていきますが、
最初に言っておくと、男女間の愛ではありません(笑)


僕が当時大学の2~3年生のころでした。


時間があるときは、入院していた祖父のところに
お見舞いに行くのが日課となっていました。


祖父や祖母は、僕の実家から車で10分弱、
徒歩で40分くらいの距離のところに住んでいまして、
入院している場所も15分くらいで着くところでしたので、
お見舞い自体が苦になることはありませんでした。


ただ、祖父は70代後半。


痴呆が始まっており、僕たち家族や祖母に対して
正しく認識できないこともあり、たまに悲しい気持ちになりました。


他の家族はだいたい病院の関係者に間違われていたのですが、
僕だけは何故か、「三浦さん」という方に間違われていました。


三浦さんとは全く接点がないのですが、
話の内容から祖父の会社の後輩?部下?であることがわかりました。


祖父「俺ももう若くないな、会社に迷惑を掛けてしまうなんて」
飢男「大丈夫ですよ祖父さん、僕たちで回しますからゆっくり治してください」


こんな、嘘で塗り固められた会話をよくしていました(^^;)


もちろん祖父は10年以上前に定年退職しているので、
入院しても会社に迷惑なんて掛からないんですけどね(笑)


そんな祖父ですが、あるときこんなことを言っていたんです。


祖父「チビたち2人のところに行かんといかん」
飢男「お子さんですか?」
祖父「いやいや、うちの娘たちはもう両方結婚しとるよ」
飢男「てことはお孫さんってことですか?」
祖父「そうよ。孫が3人おってな、近くにすんどるんよ」


僕が物心つく前、2~3件くらいアパートを転々とした後に、
幼稚園の年長さんくらいの時に今の実家に引っ越してきました。


祖父「チビの母親がパートを始めたもんで、チビたち2人が心配でな。」
飢男「そうなんですねー」
祖父「一番上のチビはもう1人でも大丈夫だろうけど、下2人はまだまだなんよ。」


そういえば、僕が小学校低学年、弟が幼稚園生のころ、
一人ではカップラーメンもまともに作れないようなころ、
祖父が「散歩がてら」と称して祖母手作りのお弁当を持ってきてくれていたなー
なんて思い返していました。


正直なところ、祖父は少しお堅いところもあって怖がっていたので、
当時は嬉しいと思う反面、早く帰って欲しいという気持ちもありました(^^;)


飢男「何しに行くんですか?」
祖父「そりゃー励ますんよ!がんばらんかってな」


祖父が口癖のように「がんばらんか」と言っていたのを思い出しました。


大したエピソードではないのですが、
冷静に考えたら、これって凄いことなんじゃないかと思うんですよね。


痴呆で正確な判断ができていなかったにしても、
足を吊るされているのはわかっている訳です。


そんな時に出てくる話って、だいたいマイナスのことになると思うんですよね(^^;)


祖母や友達のお見舞いに行ったときも、
だいたいは料理がマズいだの、やることなくて暇だの、
動けなくて苦しいだのと言ったグチが聞こえてくるんです。


ところが、祖父の場合は自分の心配やグチは一切口にせずに、
会社や僕たちの心配ばかり。


本当に愛に満ち溢れた男だったんだなって、心から尊敬します。


祖父「リハビリで若い看護婦さんが来たとき、よろけたふりしておっぱい触るんよ」


なんてお茶目というか犯罪行為もしちゃう祖父ですが(笑)
それでも心から尊敬してます(・∀・)


そんな祖父は、78歳の誕生日の前日に亡くなってしまいました。
周りは喜寿(77歳)のうちに逝きたかったんやろうねーなんて言ってました。


もう、かれこれ5年以上前の話になりますが、
なぜだか祖父のことは時より思い出すんですよね。


今でも、耳をすませば「がんばらんか!」という、
じいちゃんの言葉が聞こえてくる気がします。


じいちゃんのように、愛を振りまいて行ける男になるべく、
頑張っていきたいと思います(^^)


おっぱいの下りを書きたくて、今日の記事にしてみました(笑)





最後までお読みいただいて、
ありがとうございました♪


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