朝鮮時代、済州島は3つの行政区分に分かれていました。
そのひとつ、済州牧の行政事務を行っていた官衙(役所)が「済州牧官衙」です。
「済州牧官衙」は、「観徳亭」以外の建物が日本支配期に壊されています。
現在ある建物は2002年に復元されたものです。
1435年に創建された官門「外大門」。
鐘楼としても活用され、朝夕に鐘を鳴らして城門の開閉が行われたとされます。
外大門を入って左側にある「回廊」。
「済州牧歴史館」が併設されています。
蓮が植えられていたという池は、敵の侵入や火災が発生したときに備えて造成されたもの。
池後方の「友蓮堂」は、宴会場および貢物を捧げた場所です。
中を覗くと、宴会の最中でした。
(それぞれの建物の中には、人形が置かれています。)
王の寛大な徳が民に届くことを祈願して名づけられたという「弘化閣」。
中では、中央から派遣された判官が執務を行っていました。
軍官が勤務する官庁として使用された「瀛洲協堂」。
創建年度は不明ですが、1832年に再建されたという記録が残っています。
中では、軍官と思われる人が執務中でした。
(本当は服装で身分や立場が分かると思いますが、そこまでは調べていません。)
その3に続きます。