京都・新選組ゆかりの寺「壬生寺」 | 気ままに☆旅の雑記帳

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1863(文久3)年に結成した新選組の兵法調練場として使われた「壬生寺」。

三井寺の快賢僧都が991(正暦2)年に創建した、律宗総本山唐招提寺の末寺です。

 

「正門(表門)」は、1799(寛政11)年に再建されたものです。

ということは、この門を新選組の隊士たちもくぐっていることになります。

 

 

 

新選組は、毎月4・9のつく日を調練日として使用したそうです。

門が閉め切られ、会津から送られた黒薬式大砲の大きな音が境内に響いたとのこと。

 

 

 

2002(平成14)年に再建された「阿弥陀堂」。

地階は「壬生寺歴史資料室」として、寺宝や新選組の関連資料が展示されています。

 

 

 

阿弥陀堂の奥にある池の中の島は「壬生塚」と呼ばれ、新選組隊士の墓などがあります。

 

 

 

正面にある新選組局長・近藤勇の胸像。

 

 

 

右は、近藤勇の遺髪塔、左は、勘定方・河合耆三郎の墓。

大河ドラマ「新選組!」で河合を演じた大倉孝二さんの熱演が思い出されます。

 

 

 

池田屋騒動で亡くなった隊士・奥沢栄助、安藤早太郎、新田革左衛門ら7名の合祀墓。

左は、屯所で暗殺された芹沢鴨と平山五郎の墓(3代目の竿石)です。

 

 

 

阿弥陀堂の隣には「弁天堂」があります。

清水寺の延命院より移されたそうです。

 

 

 

壬生寺の塔頭で、寛永年間(1624~1643)に本良律師により創建された「中院」。

現在の本堂は、1829(文政12)年に再建されたものです。

 

 

 

1962(昭和37)年に焼失し、8年後に再建された「本堂」。

左奥には、京都市の区画整理で集められた石仏を祀る「千体仏塔」があります。

 

日曜日の9時少し前でしたが、ほとんど人はいませんでした。

 

 

 

 

本堂に向かって右側にある寺務所で、4種類の御朱印をいただきました。

 

「壬生塚」は、新選組ファンにとって、まさに聖地といえる場所です。

ファンならずとも、歴史に名を遺した人たちを身近に感じることができます。