福島・安達ヶ原“鬼婆”伝説の寺「観世寺」 | 気ままに☆旅の雑記帳

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3月14日、謡曲や歌舞伎の『安達原』『黒塚』の舞台とされる、
二本松市安達ヶ原にある「観世寺」へ行きました。

 

 


昨年10月の台風19号で床上浸水の被害にあったそうです。
そのため改装中ということで、無料開放されていました。

 

 


少し長くなりますが、「安達ヶ原の鬼婆伝説」を紹介します。
(「観世寺」のパンフレットを参考にしています)


昔、京都の公家の屋敷で病気の姫に仕える乳母がいました。
乳母は妊婦の生肝が病気に効くという易者の言葉を信じ、
幼い娘を置いて、生肝を探す旅に出ます。

安達ヶ原に行き着いた乳母は、岩屋で妊婦を待ち続けました。
長い年月が経ったある日、若い夫婦が岩屋を訪れたので、
妊婦を殺めてしまいます。

しかし乳母は妊婦が持っていたお守りを見て愕然とします。
乳母が殺めたのは、実の娘だったのです。
気が狂った乳母は人を喰う「鬼婆」となってしまいました。

数年後、熊野の祐慶東光坊という僧が安達ヶ原を訪れた際、
鬼婆の秘密を知り、祐慶は逃げ出します。

しかし、鬼婆はすさまじい剣幕で追いかけてきます。
祐慶が懐から如意輪観音を取り出して、お経を唱えると、
観音が現れて白真弓で鬼婆を射殺してしまいました。

 

 


その「鬼婆石像」が、門をくぐってすぐ右手にあります。
境内には、鬼婆伝説にちなむ石が多くあります。

 

 


鬼婆が住んでいたという岩屋「笠石」。
張り出した岩が笠のような屋根になっています。

 

 


基石となっている石には、「南無阿弥陀仏」という文字や
仏像が彫られています。

 

 


鬼婆が血の付いた出刃包丁を洗った「出刃洗の池」(血の池)。

 

 


鬼婆に殺された赤ん坊の泣き声が夜になると聞こえる「夜泣き石」。

 

 


鬼婆が足止めの呪いをかけて釘を打ち込んだ「祈り石」。

 

 

 

村人たちによって供養されたという「鬼婆供養石」。

 

 


鬼婆を退治した如意輪音像を祀る「白真弓如意輪観音堂」。
60年に一度の開帳で、次に見られるのは2042年だそうです。

 

 


旅人の安全を守ってくれる白蛇が住んでいた「蛇石」。

 

 


誰にも語れない悩み事を聞いてくれる「安堵石」。

 

 


松尾芭蕉が腰かけたといわれる「芭蕉休み石」。
「おくのほそ道」の旅で立ち寄っています。

 

 


「宝物史料館」には、鬼婆が使った出刃包丁や鍋など、
鬼婆ゆかりの品々が展示されているそうです。

残念ながら、台風被害のため休館していました。

 

 


観世寺から少し離れた、阿武隈川の右岸に「黒塚」があります。
黒塚には、鬼婆の亡骸が埋められているといわれています。

 

 


「みちのくの 安達ヶ原の黒塚に 鬼こもれりと 聞くはまことか」という
平兼盛が詠んだ歌碑が、黒塚の石碑とともにありました。

 

 


御朱印は、宝物史料館脇の「御札授所」でいただきました。