この食事の後に展開された、

この先のあり方をひっくり返すような出来事を

わたしは決して公には明かさない。

 



と、思う。

 

 

 


とはいえトリュフサンドは

力を与えてくれる。

根源を見せてくれる。

 

 

 

 

 

わたしには必要な食べ物なのだ。

 

 

 

 

そして以下は

上記出来事の前に下書きしていたのですが

まぁ駄文で、言いたいことが表現できておらず

ボツにするつもりでした。

しかしその出来事があったので

投稿しようと思います。笑

たぶん直してどこかに再投するかも よくやってるし

 

 

🍷🍷🍷

 

 

 

おととし、2019年の年末のことです。

わたしはあちこちで色々習っているのですが

あるお師匠さまから宿題がでました。

 

 

 

近しいかたに、宿題では両親に、でしたが

愛を伝えるということ

亡くなっていらっしゃるなら

親御様へ向けて想いを放つ。

 

 

 

わたし心から賛同して

ちょっと涙でちゃったんですよね。

よく考えていたことだったのでね。

 

 

 

 

言葉にだして

ハグして

愛してるよ、って

真剣に

 

 

毎日やっている人も

いらっしゃるかもしれませんが。

 




 

わたしは思うのですが

 

ひとは

親子とは限らず

 

身近な人に対して

 

甘えがある

厳しい

投影している

 

気恥ずかしい思いが先立ったり

コントロールしたかったり

つっけんどんな態度をとる

 

深層に押し込まれた感情に

操作されたりして複雑だったりする

 

 

 

 

 

 

それをあれこれ考えず

単純にストレートに

愛する想いを

言葉と態度にだして伝えること

 

それを帰ったら

すぐやるすぐやる

すぐやるの

やりなさいね

 

という宿題

 

 

 

 

 

明日が確実にくるとは限らない。

 

ほんと、そうでしょう?

毎日が当たり前ってことはない。

当たり前なんてない。

 

奇跡的な毎日

2020年はそれを感じたひとも多いでしょう。

 

 

ほらわたしは勝負下着とかない、何それ。と言ったでしょう。

毎日が勝負だもの。同じこと←?

 

 

 

 

 

 

アメリカの同時多発テロの時

よまれた詩をご存知なかたは多いですね。

 

わたしも何年か前

別のところで紹介しています。

 

 

“TOMORROW NEVER COMES”

/Norma Cornett Marek

 

あなたが眠りにつくのを見るのが

最後だとわかっていたら

わたしは もっとちゃんとカバーをかけて

神様にその魂を守ってくださるように

祈っただろう

 

あなたがドアを出て行くのを見るのが

最後だとわかっていたら

わたしは あなたを抱きしめて キスをして

そしてまたもう一度呼び寄せて

抱きしめただろう

 

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが

最後だとわかっていたら

わたしは その一部始終をビデオにとって

毎日繰り返し見ただろう

 

あなたは言わなくても

分かってくれていたかもしれないけれど

最後だとわかっていたら

一言だけでもいい「あなたを愛してる」と

わたしは 伝えただろう

 

たしかにいつも明日はやってくる

でももしそれがわたしの勘違いで

今日で全てが終わるのだとしたら、

わたしは 今日

どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

 

そして わたしたちは 忘れないようにしたい

 

若い人にも 年老いた人にも

明日は誰にも約束されていないのだということを

愛する人を抱きしめられるのは

今日が最後になるかもしれないことを

 

明日が来るのを待っているなら

今日でもいいはず

もし明日が来ないとしたら

あなたは今日を後悔するだろうから

 

微笑みや 抱擁や キスをするための

ほんのちょっとの時間を

どうして惜しんだのかと

忙しさを理由に

その人の最後の願いとなってしまったことを

どうして してあげられなかったのかと

 

だから 今日

あなたの大切な人たちを

しっかりと抱きしめよう

そして その人を愛していること

いつでも

いつまでも 大切な存在だということを

そっと伝えよう

 

「ごめんね」や「許してね」や

「ありがとう」や「気にしないで」を

伝える時を持とう そうすれば

もし明日が来ないとしても

あなたは今日を後悔しないだろうから

 

 

 

 

 

ところで話は急に変わりますが 

 

わたしの父

月末に手術したのですね。

声を失いました。

 

入院する前のなんだかんだの説明を

年老いた2人では不安らしく

わたしに召集がかかり

お仕事の休みをとって

久しぶりに両親とわたしだけで

長く時を過ごしました。

 

 

 

 

 

健啖家の父で

声を失うより

しばらくものを食べられなくなるほうが

辛い、と言う。笑

 

 

 

寄り添う両親をみていて

涙が出てきた。

キラキラしていたから。

 

 

ありがとう。

わたしをこの世に生み出してくれて

ありがとう。

 

わたしの選んだ親は

完璧だ。

ありがとう。

 

 

 

 

父がいて母がいて

わたしがいて

 

 

その瞬間は奇跡の美しさ

 

 

色んなことがあったし

これからもあるかもしれないし

 

すべては尊い。

 

 

 

 

真には敵などいないんだよ

つくりだしているのは自分

 

 

 

ご興味のあるかたは

わたしの縦ブログをご紹介します。笑

 

 

 

 

 

 

そしてそして

 

 

 

 

わたしに関わってくださる

すべての方々にありがとう

 

 

 

ハグハグ

 

 

 


お食事の内容はインスタを探してね!笑