人類はずっと最強を探している。
最強の民族。
最強の国家。
最強の思想。
そして今は、最強の遺伝子。
面白いのは、探している対象だけが変わっていることである。
構造は何も変わっていない。
私たちはいつも信じている。
どこかに正解があるはずだと。
失敗しない人間。
病気にならない人間。
裏切らない恋人。
破綻しない社会。
潰れない会社。
暴落しない株。
つまり人生の攻略本である。
しかし歴史を見れば分かる。
人類は何度も「正解」に裏切られてきた。
ある時代には白人が優秀だと言われた。
ある時代にはユダヤ人が世界を動かしていると恐れられた。
今では成功者の遺伝子が研究されている。
だが、なぜか世界は単純にならない。
もし本当に最強が存在するなら、とっくの昔に世界は一色になっていたはずだ。
現実は逆だった。
砂漠には砂漠の正解があった。
極寒には極寒の正解があった。
島国には島国の正解があった。
正解同士が戦い続けた結果、今の世界が残った。
そして進化生物学はさらに嫌なことを教えてくれる。
最強の個体など存在しない。
存在するのは、環境に応じて評価額が乱高下する性質の束だけである。
リスクを恐れない人間は起業家になる。
同じ性質でギャンブル依存症にもなる。
異常な集中力は天才を生む。
同じ集中力で人生を壊す人もいる。
つまり才能とは、美しく包装された欠陥なのかもしれない。
ここで話は少し気味が悪くなる。
人類は長い間、自然に選ばれてきた。
病気。
飢餓。
戦争。
その多くは残酷だった。
しかし現代社会は、その選別装置を少しずつ停止している。
医療。
福祉。
テクノロジー。
かつてなら生き残れなかった人も生きられるようになった。
それは間違いなく文明の勝利である。
だが同時に、別の疑問も生まれる。
自然淘汰を止めたあと、人類は何を始めるのだろう。
もしかすると私たちは今、
「選ばれる側」から「選ぶ側」へ移ろうとしているのではないか。
障害を減らす。
病気を減らす。
能力を最適化する。
より優秀な人間を作る。
それは夢の技術に見える。
しかし不思議なことに、生物学はそこで首を横に振る。
人類を救ったのは優秀さではなかった。
多様性だった。
慎重な人間。
無謀な人間。
従う人間。
反抗する人間。
変人。
天才。
凡人。
失敗作。
成功作。
人類は不揃いだったから生き延びた。
完璧だったからではない。
ここで私は少し息苦しくなった。
なぜなら、この物語には主人公がいないからだ。
最強の民族はいない。
最強の血統もない。
最強の遺伝子もない。
あるのは大量の例外だけである。
私たちは特別だから生き残ったのではない。
むしろ特別ではなかったから生き残った。
では、人類は何のために生きているのだろう。
遺伝子は答えてくれない。
自然も答えてくれない。
宇宙はなおさら答えてくれない。
それなのに人間だけは答えを欲しがる。
神を作る。
国家を作る。
恋をする。
推しを作る。
夢を作る。
そして最強の遺伝子を探す。
もしかすると、それらは全部同じものなのかもしれない。
人類は最強を探しているのではない。
意味を探しているのである。
そして少し嫌な考えが頭をよぎる。
もし意味が最初から存在しないのだとしたら。
私たちは人生を生きるために意味を発明したのか。
それとも、
意味を発明するために人生が存在しているのだろうか。