Chris Squire(T_T)・・・Yesの終焉・・・(T_T)
日本時間で、日付が6月29日に変わったころ、Facebookで色々フォローしているミュージシャンから・・・
Chris Squire・・・R.I.P
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先月、白血病を患っていることを公表、Yesとしては、Chrisの弟分とも言えるBilly Sherwoodを代役にツアーを行うと発表
ただ白血病は今では不治の病とは思っていなかったのですが・・・
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自分が洋楽を聴き始めた当初、プログレッシヴ・ロックはいわば雲の上の存在
そんな中、Yesは特に、アルバムの片面1曲とかだったので、自分としてはまだまだ早いだろう・・・
そんなことを思っていました。
・・・で、何曲かラジオで聴いたり、カセットにエアチェックした程度でした。
中学3年の時、クラスメートが、アルバム「危機(Close To The Edge)」を貸してくれたのです。
彼自身、このLPレコードはもらった(?)そうで、聴いていてもよくわからない、とのことでした。(笑)
・・・で、家に借りて帰って、レコードに針を下ろし、確かに最初は水が流れるような音から、次から次へ色々な楽器が入ってきて、Jon AndersonのAh~という声が入ってくる
そこで急に親近感を
凄い
そう思いました。
4部構成で20分近いこのタイトル曲が、あっという間に・・・これが本格的なYesとの出会いだったと思います。
当時、音楽誌等に載っていたメンバーの写真、小柄だけどリーダーのJon Anderson、卓越したテクニシャンのSteve Howe、その中に、背の高いキツネ目の男
これがChris Squireでした。
Yesは、Yessongsという凄い3枚組ライヴ・アルバムがある
・・・ということで、それがどうしても欲しい
但し当時、5,700円か、していたので、中学生にはとうてい無理・・・
・・・高校生になってから、ついに購入した時は嬉しかったですね。
そんなこともあって、家のステレオの前で、最初は姿勢を正して聴きました。
BGMの「火の鳥」から、Siberian Khatru
これだけで鳥肌が立ちましたよ。(笑)
・・・で、ライヴ・アルバムを通して、SteveやRickほど目立たないけど、ベースの音が凄い
それを実感していました。
YesにはRick Wakemanが復帰
そしてアルバム「究極(Going For The One)」を発表
これはYesでは初めて日本盤発売と同時に購入しました。
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Yesですが、なんとJon AndersonとRick Wakemanが脱退
残った3人はなんと、Bugglesの2人と合体
アルバムDramaを発表しますが・・・
このアルバム、後で思えばかなりイイのですが・・・当時としては正当な評価をされず、結局、Yesは活動停止・・・Steve HoweとGeoffrey DownesはAsia結成に繋がります。
ChrisとAlanは、Bonzoを失ったLed Zeppelinと合体
実際のところは、Jimmy PageとXYZを組んだのですが・・・正式にリリースには至りませんでした。
そんな中、今度は南アフリカ出身、Rabitというバンドにもいたマルチ・プレイヤー、Trevor RabinとCinemaというバンドを結成
さらに元メンバーでその後いくつかのバンドを経てきたTony Kayeが加入
いわばTrevor Rabinをメインに元Yesの3人がバックを務めるという形だったようですが・・・
なんとJon Andersonがそこへ再加入
再び、Yesとなり、そして最大のヒット、Owner Of A Lonely Heartが生まれたのでした。
完全に売れ線ロックとなったAsiaに不満を持っていたSteve HoweはYesに戻りたいようなことを言っていたようです。・・・
そしてこの復活したYesから、バンドに於けるChrisの存在感が圧倒的に大きくなったようです。
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1988年4月、アルバムBig Generaterを引っさげて、Yesが来日
1975年の来日公演が中止になったので、何と15年ぶりの来日
JonとChrisによる日本の童謡「どんぐりころころ」があったり、Trevorの卓越したテクニックで凄いステージ・・・
尚、以降、来る度に来日公演に行きました。
・・・
’89年、何と不届きなJon Andersonは、Bill Bruford、Rick Wakeman、そしてYesに戻りたがっていたSteve Hownと、YesのFragile、Close To The Edgeのメンバーでバンドを結成
但し、唯一Chris SquireがYesをやっているため、Yesを名乗れず、Anderson,Bruford,Wakeman,Howeでアルバムをリリース
ツアーも行い、翌1990年3月にはNHKホールで日本公演も行われました。
当時、StonesとPaulが東京ドームで大きな来日公演をやった時期だったので、ABWHの来日公演は余り話題にもなりませんでしたが、自分は行きました。
新作から以外は、当然Yesのナンバー、そしてClose To The Edgeをフルで聴けたのですが・・・
何かが足りない・・・いくらベース奏者は、BillのKing Crimsonでの盟友であるTony Levinであっても・・・
このコンサートで、Chrisがいなければ、Yesでないことが、立証されました。
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で、何と、その後で、このABWHとYesが合体
8人編成のYesとなりました
Jonは楽観的に「一緒になって良かった・・・」などと言っていましたが・・・
アルバムUnionをリリース、といってもYesとABWHの別々でのレコーディングが入っている・・・という感じで、8人でのレコーディングはないようでしたが、ステージでは8人
日本にも来て欲しい
そう思っていましたが、1992年3月に実現しました。
Alanがドラムス、Billがパーカッション
Rickがキーボード・ソロ🎹、Tonyがシンセサイザー
といったようにステージでは役割分担もされていたようですが・・・
個性の強いギターの2人は、共演が難しくもあったようです。
そしてそんなオールスターキャストを仕切っていたのが、Chris Squire
メンバーの中では大柄な彼は、ステージ中央に陣取って、ベース奏者ながら目立つ存在
Yesの人事部長と言われた所以がそこにありました。
・・・一度は、Trevor Rabin中心の90125のメンバーでの活動に戻り、アルバムTALKを発表
来日公演も行いますが、結局、TravorとTonyが脱退
SteveとRickが再加入して、「究極」のメンバーとなります。
・・・その後はRickが出たり、入ったり・・・
2003年9月に、行われた来日公演
それがこのメンバーでの最後の来日となりました。・・・
・・・で、その時の東京国際フォーラム公演のアンコールで、Steveが何とOwner Of A Lonely Heartを弾いた・・・これは嬉しく思いました。
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その後、各自の活動もあったようですが・・・
単独で日本公演を行ったJon Andersonは正式に脱退したよう・・・
新メンバー、Benoit Davidを加えて、Fly From Here発表
2012年4月に日本公演も決定しますが・・・Benoit Davidが病気に・・・
代役としてJon Davisonがメンバーにそして日本公演が行われました。
(その時の日記です)
http://ameblo.jp/take-1097-da/entry-11230087582.html
Jon Davisonはそのままメンバーに
今度はアルバムを全曲プレイするというツアーを敢行・・・
Close To The Edge、Fragileを全曲プレイするツアーで2014年11月に来日
(その時の日記です)
http://ameblo.jp/take-1097-da/archive1-201411.html
この時はChrisはいつもと変わらず元気そうでした。・・・
そして・・・
2015年5月、白血病を患っていることを公表・・・
6月27日に・・・
Heart Of The Sunriseでのあのハードな奏法
ベースを奏でながらのウォーク
Long Distance RunaroundからThe Fishへ移るところで、指を折るポーズ
一音出すたびに不敵な笑みを・・・
And You And Iでのハーモニカ、心地よいベースの入り方
そして、Close To The Edge、I've Seen All Good PeopleでJonたちをバックアップした歌声
・・・
もう二度と聴くことはできません。
彼はYesそのものだったのでした。・・・
R.I.P.