ご訪問ありがとうございます。



穏やかに晴れている京都北部です。






父が送ってくれた玄米を精米してきました^^
今日から美味しい新米をいただきますアップ



両親とは若い頃は確執もありましたが、年を重ねるごとに仲良く過ごせています。


父は昔は暴君でしたあせる
孫が生まれてから、思いやりが深くなりガラッと変わりました。


本当に子ども達の存在って、光そのものというか、赤ちゃんが誕生することで家族間のギスギスした感じがなくなり周囲が浄化されるんですよねうーん


育児を通じて学ぶこともたくさんあり、親としての学びを受けさせてもらっています。



娘達に笑かしてもらうことも多々あり。。



大変なこともたくさんありますが、



子ども達と一緒にいると、

喜びは倍に、辛さは半分になりますね。



我が子だけでなく、生徒たちにもたくさんのパワーをもらっています。






塾講師も7年目


国語と英語を教えています。



国語の教材で、徒然草が出てくると嬉しくて。。


なるほどと納得します。


リンク先より抜粋



第70話第四十九段 老来りて、始めて道を行ぜん

(原文)

老来りて、始めて道を行ぜんと待つことなかれ。

古き墳、多くはこれ少年の人なり。

はからざるに病をうけて、忽ちにこの世を去らんとする時にこそ、はじめて過ぎぬるかたのあやまれる事は知らるなれ。

あやまりといふは、他の事にあらず、速かにすべき事をゆるくし、ゆるくすべきことを急ぎて、過ぎにしことの悔しきなり。

その時悔ゆとも、かひあらんや。

人はただ、無常の身に迫りぬる事を心にひしとかけて、つかのまも忘るまじきなり。

さらば、などかこの世の濁りも薄く、仏道をつとむる心もまめやかならざらん。






年老いてから、はじめて仏道の修行をしようなどと、後回しにするべきではない。

古い墓の多くは、年若くして亡くなった人のものである。

予期せぬ時に重い病気を患い、あっと言う間にこの世から去る時になって、はじめて自分の過去が誤っていたこと理解すると言われている。


その誤りというのは、他の事ではない。

まず行うべきことを後回しにして、後に行うべきことを先に行ったりしているので、一生を誤って過ごして来てしまったことを後悔してしまうのである。 


実際、その時に後悔しても、何の意味も無い。



人間は、ただ「いつ何時何が起こるか、その身に迫っているのかわからない」ということを、常に心がけて束の間も、それを忘れてはならない。

そう思って生きていけば、この世への執着も薄れ、仏道に取り組む心も、しっかりとしたものになるはずである。





クローバークローバークローバー




徒然草の作者さんは、吉田兼好、兼好法師。

鋭い観察眼と歯に衣きせない文章が面白く毎回クスッとなります。




仏道でなくとも、年を重ねてからやりたいことをやろうと思っていても、いざその時に病気になっているかもしれない。



死に際に後悔しても、何にもならない。



未来に何があるかわからない、何ごとも永遠に存在しているわけではないのだと、いつも忘れずに日々を過ごしていかなくてはいけませんね。









ではまた




この後も素敵なお時間を。




いつもご覧下さりありがとうございます。





翠涼