おはようございます。

 

 

ご訪問ありがとうございます。

 

 

今日は次女の始業式、荷物があるのに雨降りで大変そうでしたあせる

 

 

次女、今年から登校班の班長さんにやり

ちゃんとできるのか不安ですが、がんばって欲しいと思います。

 

 

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桜も今日の雨で散ってしまいそうですね~

 

 

さて、3月瞑想会にご参加くださった、ちゃちゃさんに瞑想会のご感想をいただきました。

ありがとうございますキラキラ

 

ちゃちゃさんは、仏道修行仲間であり、、、以前より鑑定などでもご縁をいただいていて。。。

昨年の9月、今年の3月と瞑想会でリアルにお会いできて嬉しくて照れ

 

 

瞑想会を開催するようになって、ブログでご縁をいただいている方にリアルにお会いできて本当に嬉しく、瞑想のインストラクターになるまでお導きいただいた師に感謝ですキラキラ

 

 

 

 

5月瞑想会、ただいま参加者さま募集中ですラブラブ

 

 

 

 

 

※2022年3月 高野山真言宗阿闍梨さま、雨宮光啓先生門下にて得度受戒(在家出家)しました。僧名「翠涼」(すいりょう)

瞑想会、瞑想講座は講師名「翠涼」にて活動しています。

 

天宮光啓先生主宰、生き方塾インストラクター資格取得 Taiju/Ikkatajyuku所属

 

 

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ちゃちゃさんもお参りされた、東大寺戒壇堂千手堂の千手観音さま。。。

 

私も瞑想会の数日後に、娘たちとお参りに行きました。

 

 

千手堂は戒壇院が工事中の期間だけ拝観が可能でして、、、

 

 

kyonさんからお聞きしたところ、今年の9月頃くらいまでだそうで。。。

その後は、いつ拝観できるのかはわからないそうです。

(もともと秘仏ですしねうーん

 

ご縁を感じられた方は、是非是非お参りなさってくださいね。

とても美しい観音さまで、お厨子には倶利伽羅龍さんとお不動さまが描かれていて迫力が凄かったです。

 

 

 

戒壇院の工事中の為、千手堂が拝観可能な期間に2回も奈良東大寺近くの会場でくぼさんの演奏会とコラボできたことも、お導きキラキラキラキラキラキラ

 

 

 

実は、得度受戒の際にいただいた僧名「翠涼」はお師僧さまが千手堂にお参りされ数時間お堂の中で過ごされてお導きをいただき生まれた名です。(私だけでなく、同じ日に得度を受けられた他の方々の名も同様です)

 

 

私が戒壇院千手堂に深いご縁を感じるのも、「翠涼」という名が生まれた場所であるからなのでしょう。

 

 

 

 

 

くぼさんとのコラボなのですが、今後はしばらくお休みさせていただこうと考えていまして、、、

(ご参加くださった皆さま、ありがとうございました)

 

 

 

 

おそらくは、千手堂の拝観可能な時期に同じ会場で開催することはないと思います。

 

 

今後の予定は未定ですが、もしコラボをするとしたら関東に遠征をしたいかなと。。。

 

 

 

 

全ては一期一会であり、過去に共有できた素晴らしいお時間も二度と同じものを味わうことはできません。

 

 

だからこそ、この世は儚くとも美しい。

 

 

 

瞑想会は、今後は當麻寺門前のレンタルルームさくら坂さんで開催していこうと思っています。

 

 

 

四国、関東、出雲、広島(宮島)での開催を目指して日々精進いたします。

 

 

 

各地で待ってくださる皆さまがおられること、とても嬉しく励みになります。

いつもありがとうございます。

 

 

 

今は難しいけど、いつか

旅や巡礼をするように、各地で瞑想会を開催していけたら嬉しいです。

 

 

 

 

過去生で果たせなかったことを果たし、再会を約束した方々へお会いするために、瞑想会を開催していくのかもしれないなと感じています。

 

 

 

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奥の細道の序文、、、

 

 

 

 

月日は永遠の旅人、日々が旅であり旅そのものを住まいとする。

芭蕉の旅に憧れる気持ち、よくわかります。

 

 

 

 

 

リンク先より抜粋

 

 

 

月日ハ百代(はくたい)の過客(かかく)にして 行かふ(こう)年も又旅人也

舟の上に生涯をうかへ 馬の口とらえて老を むかふる物ハ 日々旅にして旅を栖(すみか)とす。古人も多く旅に死せるあり

 

 

予もいつれの年よりか 片雲(へんうん)の風にさそハれて、漂泊の思ひやます 海浜(かいひん)にさすらへ、 去年(こぞ)の秋 江上(こうしよう)の破屋(はおく)に 蜘の古巣をはらひて やゝ年も暮 春立(たて)る霞(かすみ)の空に 白河の関こえんと そゞろ神の物に徒(つ)きて心をくるハせ 道祖神(どうそじん)のまねきにあひて 取(とる)もの手につかず。

 

(奥の細道「序文」 松尾芭蕉)

 

 

 

月日は永遠の旅人のようなものであり、過ぎては来る年もまた旅人のようなものである。

船頭や馬子は、日々が旅であり、旅そのものを住まいとしている。

昔の詩人も旅の中で亡くなった人が多くいる。

 

私もいつの年からか、ちぎれ雲が風に誘われていくように、あてもなく旅をしたいという思いを止めることができず、海浜をさすらい、去年の秋、川のほとりの粗末な家に帰って、くもの古巣を払って住んでいたが、やがて年も暮れ、春霞が立つ空のもと、白河の関所を越えようと思って、そぞろ神が乗り移って心をソワソワさせ、道祖神が手招きしているような気がして取るものも手につかない。

 

 

 

クローバー

 

 

 

ではまたキラキラ

 

 

今日はお待たせしている紫微斗数メール鑑定を進めますね。

 

皆さまも素敵な一日を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

星お伝えさせていただく講義内容は、高野山真言宗阿闍梨さま、天宮光啓先生から教えていただいた、

 

 

「やさしい瞑想法(入門編)」になります。

 

 

瞑想が初めての方でも、経験がある方でもどなたさまでもご参加いただけます。

 

 

ゆっくりと丁寧にお伝えしますので、ご安心くださいませ。

 

 

 

 

 

 

天宮光啓先生主宰「生き方塾」

やさしい瞑想法(入門編)インストラクター

Taijyu/Ikikatajyuku所属

 

「翠涼」(すいりょう)