午後から、みぞれまじりの雪が降り始め寒いです







古代出雲族の青年・・・「水木よ。私の思いをわかってくれてありがとう。私はもう二度と現れることはないだろう」
稲佐の浜
水木先生が書かれた、オオクニヌシさまが軟禁された杵築(きづき)の裏山の岩屋とは、今の出雲大社の後ろの八雲山の洞窟だと言われています。
2021年8月に出雲を訪れた際に、
出雲大社、素鵞の社(そがのやしろ)の後ろの岩肌に触れるとオオクニヌシさまのお心に触れたような気がして離れがたかったことを覚えています。
(※水木先生も書かれていましたが、オオクニヌシは個人の名前ではなく代名詞とか役職名でオオクニヌシと名乗っていた方は数人おられると思います。)
さぞ無念であられただろうと、想いを馳せると魂の深い部分から慟哭に似た感情が込み上げ涙が流れるのは、
私自身、古代出雲で生きた過去生があったからだと思うのです。
オオクニヌシさまは、豊かな国を失った無念を未来永劫この国に遺していくために祭神となられ、
天孫族の末裔に代々出雲国造となり今も出雲大社の斎主となることを願われた。
「古代出雲」は今もこの国の深いところに生き続けている。
今も出雲には、魂の傷が癒えぬ御霊たちがたくさんいて、
魂に出雲の記憶を持つ方々が共感し慰めてくださることで浄化が進み、輪廻転生への一歩を歩めるのだと感じています。
この記事も、出雲に心を手向けてくださる方に向けて書かされたと感じています。
(書きながら涙がポタポタと落ちていきます。)
以前、出雲でももじさんにお会いした時にたどり着けなかった場所。
水木先生の作品を読んで、
幽閉され亡くなった、オオクニヌシさまの骨を洗い清めた場所とされる御陵神社へお参りしなくてならない想いも強くなりました。
今、私が学んでいる瞑想法は「空と海の瞑想」なのですが、波にまかせて辛いこと、苦しいことを解放するイメージで瞑想を進めていきます。
何となく、私がこの瞑想法を出雲ですることで祈りや供養につながるのではないかなと。。。
前回、御陵神社にお参りできなかったのは、祈りの届け方、供養の仕方を学び実践することができてから御陵神社に行きなさいってことだったのかもしれません
今年は出雲に行けたらいいなぁ。
今からできることを進めていきたいと思います。
長い記事になりましたが、お読みくださりありがとうございます。
この後も素敵なお時間を。
翠涼