こんばんは星空



ご訪問ありがとうございます。



今日は、夕方から大叔母のお通夜に参列してきました。




大叔母のお顔は、とても安らかで。。




両親が大叔母の養子になったのは、私が小学生高学年の頃。





父方の大叔母の父、曽祖父の名字が絶えるのを避けるために、両親が大叔母の養子になり名を継ぎました。





私の名字も、ある日から突然変わりました。





大叔母は、戸籍上の祖母になりましたが、
ずっと、孫として心あたたまる交流を持てないままでした。


一生を通じて独身だった大叔母には、子供との交流の仕方がわからなかったのかもしれませんが、
弟たちに比べて可愛がられている実感がなかったのも事実です。





母と大叔母との折り合いが悪かったこともあり。。
大叔母に対して、良い感情を持てなかった期間が長かったのです。






それでも、



今日、娘たちと姪っ子たちが大叔母へ手を合わせているのを見ていると、


ふわふわと暖かい感覚が何回かよぎり、


大叔母が笑っているような気がしました。






「生」と「死」





特に、「誕生」に比べて「死」は忌避されますが、







「生」と同様、「死」も共に神聖で清らかなものに感じました。







人生の中の喜びも悲しみも怒りも越えて、
穏やかな死を迎えた大叔母に対して、




素直に別れを惜しむ気持ちになれました。







今は、送る側の私も






いつかは送られる側になる。







それまで、悔いが残らないよう。



私は私らしく生き抜くことができるだろうか。







そんな想いがよぎった1日でした。




明日はどんな1日になるかな。






お読みくださり、ありがとうございますお月様





ではまた。




おやすみなさい。







明日香野