昔々、北海道開拓の時代です。
バッタの大群が発生、農作物に甚大な被害が出ました。
今でも海外で蝗害(こうがい)と呼ばれるバッタの大群による被害が出ています。
かつて北海道でも発生、被害を減らすため、バッタの幼虫や地面に産み付けられたバッタの卵を集めて埋めたそうです。
埋めた場所は盛り上がった「塚」になり、これが「バッタ塚」です。
札幌市手稲区の手稲山口バッタ塚は、1883年(明治16年)に造られました。
では、開拓民の苦労の遺跡、手稲山口バッタ塚へ。
存在を知ってから何十年も過ぎてから、初めて・・・探訪です。
Googleの地図で「当たり」をつけ手稲山口バッタ塚方面へ進むと、あちこちに看板が出て居るのですぐ判ります。
尚、入り口にゲートがあるので、見学可能時間に制限があります。
手稲山口バッタ塚に到着。
しっかりした駐車場も完備です。
※公共交通機関が無いので車が「必須」の場所です
札幌郡手稲町が建てたと思われるバッタ塚の石碑。
手稲町は、1967年(昭和42年)札幌市と合併しています。
札幌市の説明プレート。
蝗害の原因のトノサマバッタの説明もあります。
自宅周辺に田畑があった時はトノサマバッタが「いくらでも」いました。
今はすっかり住宅地、最後にトノサマバッタを見たのは・・・何十年前か・・・
ではバッタ塚。
柵内の盛り上がった場所がバッタ塚です。
説明が無ければ・・・判りません。
郷土歴史探訪で訪れましたが・・・あまりにも「地味」でした。
手稲山口バッタ塚の周辺は公園としても整備されています。
日差しを避けて休憩可能な場所もあります。
この場所、ハイキングや遠足以外で「徒歩」では・・・行かない場所です。
公共交通機関なし、近くにコンビニなしの場所、「徒歩」で行く場合は「それなり」の装備が必要です。