エイリアンはなぜ淘汰されたのか -映画『エイリアン2』を妄想力で読み解く- | 天野という窓

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こんばんは。

今回はジェームズ・キャメロン監督「エイリアン2」について、妄想力を働かせてみたいと思います。

 

「エイリアン2」、前回書いた第1弾「エイリアン」の前提を基に比較して観ると、これが実に面白い。

「エイリアン」で暗に語られた主張に対する反論、カウンターパンチとでも言うべきものが読み取れるのです。

(本当にそういう意図があったかは分かりません。あくまで妄想力なので)

 

では早速。

比較すべき点は主に下記の通りです。

 

①乗組員は何者なのか

②コールドスリープからの目覚め方

③アンドロイドをどんな存在として描いているか

④どのようにエイリアンを倒しているか

 

まずは①②に関して。

「エイリアン」を振り返ると、ノストロモ号の乗組員というのはただの貨物船員です。

統率もなければ、脅威に対する体系化された対処法も持たない。あろうことかマトモな武器すらない(火炎放射器のパチモンみたいなものは使っていましたが)。

そのため、パニックに陥ってエイリアンに「一人ずつ」各個撃破されていく訳です。

 

これ、実はかなりポイントだと思っています。

人間を描くにあたって、統率、理性(制御された意志)、文明(武器)といった、集団としての人間、大仰に「人類」と呼んでもよいですが、その性質を語るうえで欠かせない要素を捨象して、いわば「個」としての人間をエイリアンと対峙させている(ような気がする)。

 

それに対して「エイリアン2」はどうか?

乗組員は海兵隊です。統率と理性、文明の塊と言っていいような存在。

火器も各種取り揃えて、「本当に人命救助に行くのか?」というくらいに完全武装。

 

一番印象的だったのは、コールドスリープからの目覚め方です。

哺乳動物の出産のような「エイリアン」に対して、「エイリアン2」はまるで起床です。目覚ましの音で嫌々目を覚ますような。

起きてすぐに筋トレを始めるし。。

 

そこには、「エイリアン」に垣間見える弱者としての人間は微塵もありません。

まさに強者。そしてその強者たる所以はと言えば、明確なドクトリンのもと、訓練され統率された海兵隊員としての強さ。

 

そしてその結果はというと、

大抵死ぬ訳ですがその過程でバッサバッサとエイリアンを殺しまくり、生還数は「エイリアン」の時よりも多い。

 

散々な人的被害を出した挙句、やっとこさ一体を葬った第1弾とは大違いな訳です。

 

この差が、「エイリアン2」でのカウンターパンチの一つだと思うんですよね。

つまり、生物淘汰を論じるうえで「個体」としての人間を扱うことに意味はなく、ドクトリンによって統率され、自らを向上させ得るという人間の組織的性質を無視することはできない。そしてそれを考慮すれば、「パーフェクト・オーガニズム」たるエイリアンとも渡り合えるのだと。

 

まあ、ちょっと都合よく解釈しすぎている気もしますが。。

③④に関してはもう少々確信的です。次回はそれについて書きたいと思います。