こんばんは。
前回投稿からずいぶんと日が経ってしまいましたが、
今回から映画「エイリアン」シリーズについて、徒然なるままに妄想を働かせていきたいと思います。
(多分長くなります)
「エイリアン」、昔はただの「グロいモンスターがでてくるホラー映画」くらいにしか思っていなかったのですが、今観てみるととんでもない。
リドリー・スコット監督による第1弾「エイリアン」に仕掛けられた企みに始まり、ジェームズ・キャメロン監督「エイリアン2」による主張のカウンターパンチ、更には「プロメテウス」「エイリアン・コヴェナント」で明らかになる、リドリー・スコット監督の企ての真相と、「作為」という点で相当に深読みできる作品群です。
さて、そもそもなぜ、今になって「エイリアン」なのかというと、
Amazonプライムでたまたま第1弾「エイリアン」の予告編を観たからなのです(月並み)。
宇宙貨物船ノストロモ号の乗組員がコールドスリープから目覚めるシーンなのですが、
これが何とも美しい。。
まるで、生まれたばかりの哺乳動物のような、とても神秘的で印象的な映像なのです。
「あれ?こんなきれいなシーンあったんだ」と、久々に興味をかきたてられました。
今思うと、この「哺乳動物の誕生のような、コールドスリープの目覚め」という描き方自体が、
リドリー・スコット監督の「企み」の一角であり、「エイリアン2」でジェームズ・キャメロン監督がカウンターパンチとして仕組んだ(であろう)表現上の差異に繋がっていくのですが…。
それはさておき、「エイリアン」シリーズの深読みというのは、
第1弾「エイリアン」における、下記の疑問(というか引っ掛かり)を「作為」の観点から解きほぐす過程に他なりません。
・なぜ、コールドスリープが「哺乳動物の誕生」といった神秘的な描かれ方なのか?
・なぜ、エイリアンは人間の腹を食い破って出てくるのか?
・なぜ、アンドロイドに「完璧な生命体(パーフェクト・オーガニズム)」などというセリフを言わせたのか?
これらの答え、と言えるものについては、
リドリー・スコット監督による「プロメテウス」「エイリアン・コヴェナント」で描かれています。
(特に後者)
しかし第1弾「エイリアン」、これらを観ずとも、ものすごく臭い。
メタファーとして何かやりたげな雰囲気が、プンプンしています。
そして、冒頭でも書きましたがそれらを解きほぐしたうえで、ジェームズ・キャメロン監督の「エイリアン2」を、第1弾「エイリアン」へのカウンターパンチとして観ると、ものすごく興味深い差異が見えてくるのです…!
が、それについては次回以降をお楽しみに。