もののけ姫の解決 | 天野という窓

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渋谷で働くサラリーマンのもう一つの顔、小説家:天野の日常を綴るブログです

こんばんは、天野隆征です。

 

さて、今回はもののけ姫の終わり方について、徒然なるままに書き留めたいと思います。

 

正直ベースで言うと、もののけ姫を最後まで観て「あースッキリした!」と清々しくエンドロールを迎える人はほとんどいないのではないでしょうか?

 

多かれ少なかれ、頭の中に疑問符が浮かんで、米良さんの美声に何となく「いい感じに終わった感」に浸り、

とはいえ頭の中では引き続き「?」がざわめいている。

少なくとも以前の私はそうでした。

(今の私はというと、「あ、そういうことか!」と個人的な決着を見たところ、なぜか挿入されているラストのあるシーンによって、再びもやもやしています。。(詳細は次回))

 

これは、これまでも書いたように

本来は終わらないテーマを終わらせなければならない、という作品の大上段のジレンマから生じていると思いますが、

もう少し掘り深めるために、もののけ姫のラストのモヤモヤの正体を分解してみたいと思います。

 

私が思うに、その正体は大まかに3つです。

①ラストの展開で、解決すべき問題のすり替えが起きる

もののけ姫の中盤までの問題は「人ともののけの関係」、つまり敵対し殺し合う以外に道はないのか?ということであったはずが、シシ神が頭を吹っ飛ばされて荒ぶった瞬間から「あいつを何とか止めろ!」に問題がすり替わり、その解決をもって作品が終わる

 

②結局は神様によって決着する

シシ神に首を返した瞬間に大風が吹いて、こじれにこじれていた状況が一挙に決着する(アサノ方の侍なんて、吹っ飛ばされて「ハイお役目ご苦労!ちゃんちゃん」という感じだし…)

古典的にはデウス・エクス・マキナ的展開、今風に言えば「ご都合主義」による緊張の解決

 

③結局のところ、何も解決していない

 

③についてはもう少し掘り下げたいと思います。

確かに、シシ神様に首を返して当座の問題(命の危機)は解決して、直後に吹いた大風によって「たたら場VS森」「たたら場VSアサノ方」というこじれにこじれた関係も、ひとまず解消します。

しかしいずれの問題においても、単に「爆発寸前だった風船がしぼんだ」というだけで、根本的解決には至っていない訳です。

恐らく、多くの方のモヤモヤはそのことに起因するのではないでしょうか?

 

砂鉄(や鉄鉱石)が採れる以上、引き続きアサノ方の脅威(たたら場が欲しい)は続きますし、

エボシの「ここをいい村にしよう」というセリフ、あれが「たたら場の再建」を意味するにしても、「農業で生きる」ということだとしても、結局のところ森を開墾しなければ成立しない。

せっかく山々に芽吹いた植物を、殺さないと生きていけないのです。

 

人ともののけの関係にしても、

敵対関係ではなくアシタカとサンが象徴する「友好関係(愛情関係)」に着地を見た、と読み取れなくもないですが、概念的過ぎて何だかしっくり来ない。

 

何も解決していない。

なのに、主要人物はこぞっていい顔をして「終わったー」という雰囲気を醸し出している。。

(モヤモヤ…)

 

しかしこれこそが、もののけ姫が宿命的に抱えてしまった(意図的に抱えた?)ジレンマそのものなんですよね。

①②もある程度はそうなのですが、やはり③は決定的にそうです。

 

…とはいえもののけ姫、

実はそんな矛盾を抱えながらも、ものすごくスッキリ完結しているんです(本当は)。

 

あるシーンによって、もはや「感銘の域」での完結を見る、

…はずが、、

これまたあるシーンによって、どんでん返しのモヤモヤで終わる。。


それについてはまた次回。