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高をくくる

 

 

昔から食物と自分との関係は妙だったと思う。

幼い頃、肥満児だった僕。

小学生に上がる頃には人並みに下手ながらもスポーツをするのが好きな時期もあり、標準的な見た目になっていた。

 

子供会、という町内の子供が自動的に所属する会に何故か自分は属しており、毎週日曜日はドッヂボールを強いられたし、集団登校で集合する公園でサッカーをするのが好きだった。

 

祖父は僕に甘かった。

頭のおかしい家系であるので祖父も例に漏れず、ズボンを履かない状態で鉄下駄とダンベルを持って池をウォーキングするというような人だったのだが、まぁ取り敢えず甘かった。

 

母親に怒鳴り叩かれ、家を逃げ回り、匿われるのが祖父の家だった。そこで祖父が僕を慰めるために用意したのがお菓子である。

 

・生ハム

・三ツ矢サイダー

・すっぱムーチョ

・カラムーチョ

・アイス(ソーダ&クリーム)

・スーパーソーダガム

 

これらのお菓子が絶えず補充されており、たまに唐揚げなども追加されている。喜んで食べる僕を見て、祖父は更に買い足す。

 

太った。

 

当たり前だが、おやつというレベルではない。

僕は朝昼晩のご飯よりもお菓子に魅力を感じていた。

見た目は、周囲に影響する。

自分の見た目を全く意識していなかった僕は小学校6年になるまで、自分が肥満体型であることに気づかなかった。

 

中学生になると給食が無くなり、同時期に入ったテニス部の筋トレで今までにない運動を強いられるようになった。小さな弁当、夕方まで続くテニス部、そこからの学習塾。

お菓子を食べる暇もない。

こうして僕は痩せた。

 

高校3年。

痩せた体型を維持していた僕だったが、何故かこの時期に異常な食欲に襲われた。

太っては不味いと思い、午前3時に起きて大量のご飯を食べた。

何故かといえばテレビで午前3時と午後3時が太りづらいと紹介されていたからだ。

 

食べて、学校に行き、食べて、寝る。

食べて、学校に行き、食べて、寝る。

 

一時期は食べる為に生きており、それ以外の生きる目的すら感じていなかった。

しかし、それも受験気に入って意識が受験を迎えると消えた。

生きる意味を見失った。

 

そして、今は、中々食べられない、

というか食物に対する若干の嫌悪感を抱くことがある。

 

みんなが平然と食べるお菓子を食べれば、必ず肌が荒れ、体調は悪化する。

みんなと一緒に豪華な物を食べれば、必ず肌が荒れ、体調は悪化する。

 

そんな事態に遂に精神的なストッパーのような物ができたのだろうか。食物を飲み込むのが嫌になることがある。

 

昨日もパンを食べていて、途中で出してしまった。

はたから見れば「大丈夫か?」と聴きたくなる。僕自信も、僕に、大丈夫か、と聞きたくなった。大丈夫かと聞かれたら、大丈夫じゃないんだろうな。


起きて食べた。
最近食べると喉がいたい。疲れてくる。食べたいのに食べられない。

大学のゼミで展開されている話題が分からない。しかし、相変わらずTさんは話しかけてくれる。自分からも話しかけたいものである。

自転車2つのうち、1つはチェーンが外れ、1つは前後パンク状態。

全く良いことがない。

明日は遂に水曜日。
僕の運命というか、人生がここでまた大きく変わるのだろう。それでも僕は選んだことをするつもりだ。
後悔はするかもしれないが、これ以上、このままでは居られないと思った。


過ぎていく日々。
ゴールデンウィークが終わり、「世界の果てまでイッテQ」を視聴した。

葉書はもう届いただろうか。
届いたとしたらどんな表情をしてくれるだろうか。

大学に行き、後輩と話していた。
どうやら今の運営形態に不満があるようだった。
今の……とは言ったものの、よくよく考えれば自分の運営していた代、ひとつしたの後輩からどう思われていたかをきちんと聞いたことがないことを思い出した。

2年目は1番サークルに関して思うことがある時期だと思う。大学に入り、サークルに入り、1年馴染んだ活動形態ががらりと変わるからだ。

僕はひとつしたの代には、どう思われていたのだろう。

会議に遅刻している。
急がなければ……。
車内でそんなことをいっても、スピードは変わらない。


こういったタイトルだとまさに就職活動を思い浮かべる。
しかし、今考えているのは就職活動とは別のことだった。

自分が今年度代表を務めている団体では、運営メンバーを学生の中からスカウトして入れ替わっていく制度ができている。

幸いか、災いか、昔の僕は誘ってもらってそれを承諾しスタッフになった。決して志望度が高かったわけでもなく、なりたいと思ったこともなかったが、この経験がなければ僕は今の僕には辿り着けなかっただろう。

今この団体に「入りたい」と言ってくれている人がいる。しかし、「スタッフが多すぎるので断っている」のが現状だ。

これは構わないのだろうか。
僕の意思ではなく、周りのスタッフの意見がそうさせている。

時期が違えば絶対にスタッフになれたであろう子が、どうしてこんな下らない理
由で断られなければならないのか。

特に見知った仲ではないが、そう考えて画策してみた。

しかし、事態は思ったより深刻なようで、彼女をスカウトしようと思えば、まず実質現副代表の誤解を解いて説明しなければならない。

選ばれる者と選ばれない者は、こんな下らない差なのだろうか。

僕にはまだ納得できなかった。



最近、現実を直視しない日々が続いている。誰に予定を取り付けるわけでもなく、ネット上でも誰とやり取りをするわけでもない。

行われる自問自答。その繰り返し。不意に狂いそうになるし、自分は一体何で、何をしていたのか。
忘れそうになる。

認知症はこの状態から戻ってこられない人々なのではないか、少しだけそんなことを考えていた。

ゴールデンウィーク最終日は、団体の男子が集まっての飲み会だった。彼らは人並みに生活を満喫しているらしい。

自分で話を繰り返す度に、僕の心の状態が認識できる気がした。僕は水曜日に、告白をする。

 

 

「就職活動①」の記事(http://ameblo.jp/takayasuhiro/entry-12263141592.html)を書いてから1ヶ月経っていた。

 

色んな企業に目安をつけ、就職活動を初めて4ヶ月。選考を進めていた企業の内、現在残っているのは1社しかない。

 

4月の最後になんと塾の内定を頂いた。しかし、勤務場所に大阪という選択肢はない。もし大阪という選択肢があれば僕はもしかしたら就職活動を満足して終えていた可能性もなくはない。

 

出来れば僕は大阪で勤務したい。

大阪で勤務したい理由が1つだけ残っている。

 

まだまだ僕の就職活動は続きそうである。

僕が人間に関わり始めたのは高校生くらいからであり、成長を感じられたのは大学生からだ。その経験はどんな風にすれば活かせるのか。

 

どんな業界なら活かせるのだろうか。

人物重視の選考を行っているという企業は沢山ある。しかしそれは人物像が圧倒的に優れているとハッキリ伝わる者を採用するという意味であって、普通の人格を持つ者をただ採用するということはないだろう。

 

そもそも人物を詳しく探られてしまえば、僕は中々不安定な人材なことが分かってしまう。しかし、この世界に普通の人間など存在しないはずだ。

 

自分がより多くの人達にいい影響を与えられる場所はどこだろうか。

僕が愛した団体のように。

絶対的にマッチした場所を探せたら、成功なのだが。

 

『シアワセノサガシカタ』は佐藤裕美の今日にして、ゲーム「ジサツのための101の方法」のEDテーマソングである。

 

「ジサツのための101の方法」は2001年に発売された妄想心理ノベルというジャンルのゲームで、「終ノ空」「さよならを教えて」と同様に僕を惹きつけたゲームだった。

 

といっても内容の理解は正直言ってそこまで出来ていない。

主人公が意味ありげなことを語ったかと思えば、不吉な女が出てきて、不吉な女②も出て来る。シャーペンで自殺した男を目撃してから学校中で自殺者が出て来る。主人公たちは友人や妹を守るために結局アルミホイル張りの部屋で籠城生活を始めてしまう。

 

最初の部分までを軽く書いただけでもこんな風である。この文章から読んでみたいと思える人間がどれほど居るのだろうか。生々しいような描写で、閉塞感があるような展開で物語は進んでいっていた。

 

そんな物語の最後に流れるのが『シアワセノサガシカタ』だ。

陰湿ともいえた物語展開から一転、ピアノから入って「青空」や「風」をイメージさせるこの曲はギャップという意味も相まって自分の中で印象に残った。この曲が流れている間はなぜか実写の綺麗な写真が表示されるというのも変わった所である。

 

目を癒してくれているのだろうか。

 

だけど 歩いてゆこう ころびながら歩こう
いつか顔を上げたら きみにあえるから

 

前向きなこの曲と、曲から感じる印象は初めて聞いてから3年近く経っても自分の中に残っていた。

 

そして、僕が団体で発表会の企画書を提出しなければいけなかった時、会議をする間もなく、発表会そのもののタイトルを決めねばならなかった。そこで僕が出したのがこの曲のタイトルである『幸せの探し方』である。

 

団体40名、そのうち学祭に携わった人間が約30名。

彼らの約3ヶ月の頑張り、僕の胃を潰しそうになった頑張り、親にさえ協力を仰いで成功させたあの学園祭のタイトルが、よもや妄想心理ノベルのEDテーマソングから取られているとは誰も思わないだろう。

 

因みに学園祭のEDテーマソングは「Dream / I love dream world 〜世界中のしあわせを歌おう〜」だった。流石に『シアワセノサガシカタ』を流すことはしなかった。

 

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今日は何の予定もない日である。

何の予定もない上に久しぶりに雨が降っていた。

なんだか眠くなってきた。

 

今日反応があったのは遂に部室の開け閉めだけのLINEだった。

なんだか、この孤独感も懐かしい。

 

ゴールデンウィークといいつつ全くゴールデン感はなかった。

就職活動を少しだけしたり、団体のために色々してみたが、なんだか調子に乗らない。

 

会いたい人に会えなくなってから1ヶ月。

よく分からないが自分の感情がだんだんと膨らんでいっているような気がした。相手にとって自分が過去の存在になっていたとしたら、これほど悪質なものはないだろう。

 

会話がしたい。

部屋にこもって何かをして何かを食べて苦しくなるという繰り返し。しかも、まだ膝からは異常を感じるので暴れる訳にもいかなかった。

 

ゴールデンウィークは残り1日。

最後の日は如何にして過ごそうか。明日の過ごし方を考えてみることにする。

 

かつてあって、今完全に無くなっているものといえばLINE通知である。

僕は大学生活を通してスマホ中毒になりぎみだった。事務連絡のLINEもそうだが、

割とグループLINEや個人LINEをする機会も多かったからだ。

 

人との繋がりに飢えていた自分としては、

それは喜ばしいことだった。

一晩で600もの通知が溜まっていたこともあったが

それも過去に流れ、

現在では0になってしまった。

 

スマホを覗けど変化なしである。

誰とも繋がっていないようなこの感覚は、なんといえよう。

デジタルは全てじゃない。

全てじゃないけど……


起きた。
食べた。
寝た。

午後2時。

無為すぎる1日になりかけている。
膝の痛みは全く引いていないというか、確認するとまだ血が出てきていた。
どうやら思った以上に深いらしい。
ズボンがボロボロになるレベルだから仕方ないのかもしれないが。

手紙もとい葉書を投函する。しかし、これが届くのは2日後かもしれない。となると、立夏ではない……。

会議に来たつもりだったが、どうやら早すぎたようだった。仕方なく大学で時間を潰しながら会議の進みかたを考えていた。

何となくだが、世の学生の会議には事前資料はあっても、事前に会議の進め方まで考えている人間は少ないように思えた。この団体の特色上、会議や議題が多すぎる。こうでもしないと後手後手に回ってしまうだろう。

果たして今日はうまく進行できるだろうか。

結局うまくいった……とはいえない出来だった。全員の了解を取るのは難しいものだ。もっと上手く、もっと華麗に進めるにはどうしたらいい?