手話おもしろゼミナール | no title

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高をくくる

「手話おもしろゼミナール」

みんなの手話で2015年度くらいから出来たコーナー……だったような気がする。

那須さんが素敵な手話で色んな手話にまつわる知識について解説してくれる。

三宅さんも納得した感じに良い感じの事を言ってくれる。

実際手話単語や表現を学んで会話だけ出来る、という人にとっても、中々に面白いコーナーである。

2017年放送のものを見ながら打った。

漏れや省略部分はあるが、そこは無賃の趣味の範囲なのでお許しを

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●2017 第25課 「視聴者からの投稿」

手話を用いての仕事はどんなものがあるか?

接客に使える手話を覚えているだけでも聞こえない人の来店時に役立てることが出来る。

手話を専門的に使う仕事をしたい人は?

まず地域の講習会に通い、基本的なコミュニケーションを覚えることから。手話検定獲得を目指してやってみるのもよい、手話通訳士になるためには、通訳士の養成学校に通ったり、地域の講座に参加して技術を磨くことも必要。特別支援学校の場合は普通の免許+特別支援の免許が必要。

 

 

●2017 第24課 「聞こえない子供の為の日本語ドリル」

(省略)

 

●2017 第23課 「聞こえない人と防災」

日本の気候はここ数年で様子が変わっている。災害への注意が一年中必要になってきている。そこで、災害時に聞こえない人が困ることと役立つ道具について紹介する。

 

聞こえない人が困る代表例

・災害情報を得るのが困難

・声で助けを呼ぶのが困難

・避難所で情報支援を受けるのが困難

 

東日本大震災以降字幕放送が増えたがTVがなければ見られないし、ラジオや防災行政無線から情報を得るのは困難。

 

避難所でも声で助けを求めることが出来ない。

周囲の狭い範囲でしか助けを求められない。

積極的にアピールすること自体を躊躇る人がいる。

 

独り暮らしや高齢者の方は特に不安。

日頃聞こえない人をサポートしている人たち自身も被災しているので、手が足りなくなる。

 

簡易筆談機というものがある。マグネットボードである。

これは電池が不要で繰り返し使える。

災害時手話ハンドブックもある。これはかかりつけ医や常備薬などを伝える為に最低限のコミュニケーションをするためのものである。

普段から防災訓練に参加して聞こえない人であることを知ってもらい、周囲の人に理解してもらうことや、どんな課題があるかを周囲の人と話し合うことも大切である。

 

 

 

 

●2017 第22課 「子供手話ウイークリー1000回記念特集」Special

番組自体は来年で20年目。

1998年に放送スタート。

国内初のろうの子供に向けた手話番組。

週1で世の中の動きを手話で伝えていく。

番組が始まった当初は字幕番組は多くなかった、ろうの子供が情報を得られる手段が限られていた。木村晴美さんは2年間を初代で担当した。

ろうの子供たちは手話だけで生活しているわけではなく、日本語の読み書きという2つの言語を使っている。日本語の文章を読み取ることも大切なので、詩を取り上げたときは手話への翻訳を考えてもらえたと思う。

 

例えば飛騨市日本大震災の被災地でろう者に被災時の状況をインタビュー。

熱中症対策といった必要な情報を発信した。

時にはアシモがやってきたころもあった。

 

およそ20年間、1000回にわたって分かりやすく楽しく伝えてきた。

社会で活躍しているろう者の中にはこれをみながら育った人も居た。

 

手話で子供たちに伝える上で気を付けていることは……

原稿はスタッフがニュースを集約して作成している

それを手話に翻訳している

字幕は見やすく分かりやすく表示しており、手話もゆっくり表すようにしている。

 

キャスターさんが印象に残っていることは……

毎年8月に戦争を題材にとりあげている。

多くの人たちが悲しい体験を伝えるために話している、それをどうすれば興味をもってもらえるかなどを考えながらやっている。

 

聞こえない子供たちにとって、手話を通じてニュースを知ることが出来るのはとても貴重。ろうの子供たちにも手話を通じて今の社会の状況を知ってもらい、将来社会に貢献できる人になってほしいという願いがある。

 

 

●2017 第21課 「接客で使える手話」

(省略)

 

●2017 第20課 「みんなで支え合う手話の村」

バリ島といえば、リゾート地として人気がある。

日本人でも知っている人も居るかもしれないが、その中心地から車で3時間のブンカラ村では聴者ろう者に関わらず日常的に手話を用いて生活している。

そこは3000人余りが暮らす小さな村。村では至る所で手話をしている人が居る。独自の手話が発達している。インドネシア全体で300人余りいるといわれおり、就業の機会も少ないと言われている中でこの環境はとても恵まれている。

元村長の方は幼いころから聞こえない人達が情報の差を感じている状況を目の当たりにして、村長になった後、辞書の作成や、通訳の導入をした。こうして10年前から聞こえる児童と聞こえない児童が一緒に授業を受け、手話を学ぶ授業も出来た。

こうしたブンカラ村の取り組みをアメリカの大学が紹介して話題となり、色んなところから訪れる人が居る。山間部の独自の環境で手話をはぐくんできたブンカラ村。共生社会のモデルの一つとして話題になっている。

 

世界中のどこでも手話を使い、聴者ろう者が当たり前に暮らすという世界になると良いな。

 

 

●2017 第19課 「ろう者が野球を変えた!?」

ろう者のメジャーリーガーについて話す。

ろうのメジャーリーガー ウィリアム・ホイ。

1862年にアメリカで生まれた。

リンカーン大統領の時代である。古い時代の人。ホイさんは幼い頃病気で聴力を失い、ろう学校卒業後、靴屋に就職したが、メジャーリーガーの夢に向けて努力をして、ついにそれをかなえた。

 

ホイさんはメジャー史上、3人目のろう選手だった。ホイさんはメジャーリーガーになる以前のメジャーリーグでは審判は掛け声のみだった。ジェスチャーはその頃に生まれた。ホイさんは打席に入ると一球ごとに振り返って審判を確認する必要があった。よって、集中できるように、審判の判定をジェスチャーで示してもらうようにした。これを最初に提案した内容が結果的に採用された。形を考えたのが誰かは諸説存在する。

聞こえる人の中で当たり前になっていることも、聞こえない人達が考えたものが最初であることがまだまだあるかもしれない。

 

●2017 第18課

聞こえない人とテレビ の字幕放送について

少し前のアナログ放送の時は専用のチューナーをテレビに設置する必要があった。

文字多重放送という。

始まったのは1983年。

初めて実施されたのは連続テレビ小説「おしん」。

当時の人気番組。最高視聴率60%越え。

文字多重放送が試験的に導入された。

 

それから30年。現在。

・オペレーターによるタイピング

・コンピューターの音声認識技術の進歩

 

聞こえない人によって違いはある。

ニュースなのか、ドラマなのかによっても違う。

聞こえない人がテレビから情報を得るために色々な工夫があるべき。

 

 

●2017 第17課 「聞こえない人とテレビ」

テレビの手話放送について。

手話を中心としたレギュラー番組の元祖は

「聴力障碍者の時間」というタイトル。

1977年放送がスタートした。

日本初の聴覚障碍者向け放送。

 

小さい画面で通訳者がワイプで出てくる試みはあったが全画面では初めて。

この番組で週1で聞こえない人の生活に役立つ情報や、聞こえな人の活躍を特集するなどで視聴者を楽しませた。番組スタッフが全国で取材に行くと、先々で楽しみにしていると声をかけられた。

 

その後、1990年に「きょうのニュース-聴力障碍者のみなさんへ-」が放送スタートした。これが後の手話ニュースにつながる。

聞こえない人達は日々のニュースを家族や周りの人たちから得ることが多かったが、この番組によって、直接情報を得ることが出来るようになった。

手話ニュースは総合テレビの全国放送のニュースのほか、独自の取材や聴覚障碍者関連の放送も混ぜて伝えている。

現在10人のろう者と1人の聴者によって放送中。

手話だけでなく字幕の出し方も工夫している。

聞こえない人達が分かりやすいように、総合テレビと比べて、ポイントを絞って表示したり、最後まで読めるように時間をかけて表示している。

聴者とろう者では違う配慮が求められる。

 

●2017 第16課 「時代やニーズによる手話の違い」

時代の変化やニーズに合わせて最近使われ始めた手話。

インフルエンザ。

数年前まではインフルも風邪も同じ表現だった。

病気の流行でみんなの意識が変わったり、病名が細分化されたことも手話という言語に影響があった可能性がある。

 

熱中症。こちらも同様。

以前はNHK手話ニュースでもキャスターごとに違う表現だったが、最近は「熱い」「中」「病気」に統一されてきている。

昔は日射病という言葉の方が多かった。

 

ない。という手話も昔は「口元でゼロを作り、右に突き放す表現」だった。

 

 

●2017 第15課 「世代による手話の違い」

みんなの手話の番組作りに関わっている人でも20代から~……。ばらばら。

例えば「衣文かけ」。

今の若い世代には「えもんかけ」を知らない人が居るかもしれない。

衣文かけとは着物をかけるための和服用ハンガー。

和服を日常的に着ていた世代や、仕事で和服を着る人は知っている。

ハンガーと手話は同じ。

 

仕事、という手話。

これは沢山の書類をそろえるイメージ。

上の世代では、両手でこぶしをぶつける「つくる」と同じ形。

電話、という手話。

今の表現は受話器。

上の世代ではダイヤル式を表す指を表す。

更に手回し式電話を表す人も居る。

10年位前まで、地方の駅でタクシーを呼ぶために手回し式電話はあったらしい。

 

携帯もスマホに変わってきたので、携帯の表現も消えていっている。

手話は移り変わる前後のスタイルも分かる、百科事典のようなイメージ。

 

良かった。

上の世代では「顔の中央左側から午前を表す表現」があるよ。

 

●2017 第14課 「手話を学ぶ場所」

ろう学校がろう者にとって手話が伝承される場所になっていることを前回述べた。

三宅さんの場合は最初、区が開催している講習会に3年間参加した。

 

全国の自治体では定期的に開催されている手話講座がある。

レベルは開催頻度はばらばら。中には無料でテキスト代のみというところもある。

定員が定められていることや、受講生の募集期間が決まっている時があるのがネック。

 

手話サークルというものも全国に存在する。

手話サークルは手話を学習したい人による自主的な組織。

手話を学習するだけでなく、ろう者たちとのかかわりを重視している活動もある。

 

こういった手話サークルでも基本から教えている。

地域によっては多数あるし、カルチャースクールでも手話を教えている。

手話を覚えるには続けることが大切、見学に行って自分にあった場所を見つけると良い。

この番組を見て手話を知った人がもっと深く知ってくれるといい。

 

手話は言語なので、誰かと会話していくことで豊かな表現が身につくだろう。

 

 

●2017 第13課 「ろう学校と手話の方言」

日本語と同じように手話にも方言が存在する。

西日本は名札、東日本は押印のイメージで「名前」という手話を表す。

 

ろう学校とは

聴覚に障害のある子供たちが学ぶ学校。

各都道府県に、ろう学校もしくは聴覚支援特別学校が必ず一つ以上設置されている。

 

昔は手話が日本語を覚える邪魔になるからという理由でろう学校でも禁止されている時期もあった。しかし、地域によっては県内にろう学校がひとつしかないところもあるため、寄宿舎で生活しながらろう学校に通う人も居た。学校で手話が禁止されている間も先輩後輩間で手話が受け継がれていった。それこそが手話の方言の始まり。

 

ろう学校ごとで使う手話が違う為方言が生まれた。

県内にろう学校が2つある場合は、方言が2つ存在することもある。

 

方言には、他にも学校とは別に地域に独自に育まれたものもある。

興味のある人はろう者にあって調べてみよう。

 

 

●2017 第12課 「知って楽しむデフリンピッククイズ」

ろう者の為のスポーツの祭典デフリンピック。

デフリンピックの事は知られていないのでクイズをだす。

 

Q,パラリンピックとデフリンピック、歴史が古いのはどっち?

Aデフリンピック

 

パラリンピックの第一回は1960年

デフリンピックの第一回は1924年

 

Q.開会式の入場行進の先頭国はどこ?

A.フランス

 

オリンピックの場合は先頭国はギリシャ。

デフリンピック第一回の開催地はフランスだった。

 

Q.デフリンピックのサッカー試合、審判のホイッスルと合わせて使われるものは?

A.フラッグ(旗)

 

デフリンピックの試合進行には、旗が使われる。

 

Q.オリンピックとデフリンピックの両方でメダル獲得した人は何人?

A.1人

 

テレンス・パーキンさんがその人。

うまれつきのろう。シドニーオリンピック、競泳200m平泳ぎに挑戦した。

デフリンピックでは1997年大会から4回連続出場して毎回金銀銅の各メダルを多数獲得し、自転車競技にも出場して銅メダルを獲得している。

メダルといえば、日本人選手が獲得したメダルの数はパラではなく、デフリンピックの方が多い。

 

●2017 第10課 「手話言語条例」

日本で初めて鳥取県で制定された。

手話言語条例はしゅわを日本語と同じように扱い普及させるように定めたもの。

ろう者と聴者が共に活躍できる社会を作るのが目標。

聞こえない人達の手話を言語として認めてほしいという声がきっかけに条例が制定された。

 

鳥取県では3年間で手話教室を100回以上開催した。

手話のハンドブックを県内すべての学校に配った。

 

鳥取県では街中でも手話が通じるかもしれない。

地元のろうの女性がおすすめの観光地を手話で案内しているようなものもある。ソの動画にはナレーションや字幕、副音声などもついている。

手話を独立している言語として認める動きは全国でも高まっている。

現在、全国97の自治体で手話言語条例が制定されている。

東京ではまだ制定されていない。

今後制定に向けて動き出すと思われる。

 

 

●2017 第9課 「CODA」

Children of deaf adults.

コーダは幼いころから聞こえる人と聞こえない人の文化に触れる。

家の中ではろう者の文化を、外では聴者の文化を経験する。

全てのコーダが手話が出来るわけではない。

親の教育の方針による。

親がろう者のコミュニティに深くなじんでいる場合、親を見て、手話を身につける人が居る。

コーダの人はコーダの集まりもあるので、ならではの体験を分かち合えるかも。

 

みんなの手話、手話監修のたけいさん。

手話通訳の杉本さんはコーダ。

 

色んなコーダを言る中で手話に関わる仕事で活躍している人も居る。

こういったコーダの人達が橋渡しになっている。

 

 

 

●2017 第7課 「手話は世界共通なのか?

手話は世界共通については誤解が多い。

英語でもアメリカとイギリスでも違う。

指文字の表し方も違う、アメリカ手話はフランス手話と似ている。

日本手話はアメリカ、イギリス手話と語彙については違う。

NMSや非手指動作、CL、類似などの文法は似ているところもおおい、日本語と英語ほどの違いはないかもしれない。

 

これらの例から分かることといえば、

手話は世界共通ではない。

 

世界中のろう者が集まるような場では、現在はアメリカ手話が使われることが多い。

 

●2017 第6課 「片手手話」

日常の中でいつも両手で手話出来るわけではない。

電車や傘、カバンを持っている時などもある。

片手で手話をしている時にろう者がしている時の特徴を調べた。

 

両手で表現する単語を片手単語に置き換えたり、

指文字や口形で置き換えたりする。

 

やったことがない→「やる」「経験」「ない」→「(別の)経験」「ない」

一緒に行こう→「2人」「2人でいく」

温泉→「お風呂」「温泉(片手)」「いいね」

 

片手の表現は首振りや顔の表情がもっと大切になる。

 

ろう者同士だと片手でもわかるし、聴者の手話学習者でもいずれ分かるようになるといいね。

 

●2017 第5課 「手話の足し算とカケ算」

手話と普通の数え方でも4までは同じ。

手をたてにして計算することが出来る。

6+7のような場合は……。

左右の親指をつける。

親指は5の意味がある。

合わせると13であることが分かる。

 

また、掛け算の場合も使える。

親指を閉じる。

残った指×10

折り曲げた指(右×左)

 

 

 

●2017 第4課 「ろう者の文化」      

聞こえない人達の文化についてお話しする。

文化といえば……音楽、ファッションなどのイギリス文化、日本文化などがある。

ろう文化といえば……イメージしやすいのは手話。

手話はろう文化の核になっている。

手話は日本語とは異なる独自の文法構造を持っている。

 

手話を始めた人にろう文化の例をあげるとしたら……?

拍手や、会議の開始合図はぱちぱちの方法。

会議の場合は出席者全員に見える位置で発言しなければならない。

聴者は前に出るのは恥ずかしがったり遠慮したりする。

 

聞こえない人の会話を見て自分たちのやり方と違うと感じることが出来れば、異文化体験の入り口になる。

 

 

●2017 第2課 「Yes-NO疑問文中の相手への指さし」

3パターンある。

・主語 あなたへの意味で相手を指差す

・Yes-No疑問文の文末指さし

・文末の指さし

 

絵本のよみ語りなどの時にも表現があった

例「それは良い考えだ」

この場合

「良い PT2」を1つの言葉のように続けて表現するのがポイント。

 

相手への指さしは、手話初心者には違和感があるのでは?

日本語では相手を指差すのは失礼という意識がある。

 

しかし手話は日本語とは別の言語。

相手への指さしはろう者のコミュニティの中では、極めて普通のこと。

友達同士だけでなく、目上の人に指さしをすることもある。

ただし、突き出すように指さしをすると命令文になるので注意。

目上の人にも敬意を持って話しをする、これは手話も日本語も同じ。

 

手話では多くの場面で指さしがある。

 

●2017 第1課 「絵本 ぐりとぐら」

絵本の手話訳の話なので省略する。