ハロウィンという手話単語。
恐らくは最近できた新しい手話単語なのだろうが、これの由来がよく分かっていなかった。パンプキンだか、ジャックオーランタンだかの口元を表していたらしい。殆どの学生は手話単語を適当な形でしか表さない。僕が最初に見たハロウィンは口元ではなく、明らかに鼻下から表されてきた。ひげかなにかを表しているのか?と読み取った僕は、なんとなく、ハロウィンを表してきたのだが、やはりこれではダメだと思う。
手話単語の獲得は、形を真似ればそれで良いのだろうか。確かになかにはそういう単語も多いのではないかと思う。佐賀、山形などの由来と手話単語の関連性がパッと見、あまりわからないものもある。
僕が手話を学び始めた頃、とりあえず僕がひいたのは辞書だった。辞書の平面的な表現を大体こんな感じだろうな、と真似て表現していた。伝わらなかったが。
手話単語にはイメージを内包したものがある。由来は時折、そのイメージと繋がっている。だからこそ、僕は手話単語を獲得する為だけでなく、後輩に知識をひけらかしたいだけもなく、イメージを得る為に由来を覚えている。
時折、「日本語の普段使用している単語の由来なんて誰が気にするの?」なんていう意見も見かけることがある。確かに若者言葉だけでなく、普段の会話に出てくる単語で由来を知っているものなんて殆どない。しかしながら手話の由来は視覚的イメージの獲得に結びつくのだろうと思っている。
例えば「会う」。人と人が会っている様子を表すこの手話単語は、表現次第で意味が異なっていく。
「中々来ないと待っていて、やっと会えた」
「知っている人を見かけたけど無視した」
「追いかけたけど、逃げられた」
「合流して一緒に出かけた」
1つの手話単語でも、イメージさえ掴めば更に表現の幅は広がっていく。今の学生手話サークルに足りないのは、こういう表現なのではないだろうか。