少年少女世界伝記全集の第22巻です。

宮沢賢治は自然が好きで、高い理想を求めた文学者です。
ミケランジェロは多くの名作を作り上げた芸術家です。
明治29年の8月に宮沢賢治は岩手県の花巻で生まれました。
宮沢賢治が生まれてから数日後、花巻は大地震に襲われました。
母は必死に賢治を守りました。おかげで賢治は無事でした。
小学生の頃の宮沢賢治は人騒がせだったようです。
中学に入っても、賢治は真剣に勉強をしません。
この頃から彼は詩や短歌を作ることを楽しんでいたそうです。
そのせいで成績も上がるはずはなく、進学の望みはありませんでした。
やがて賢治は質屋の番をして働くことになりました。
しかし、賢治は根が優しいので、無条件で多額のお金を貸したり、
困っている人から利息を取らなかったりすることもありました。
父は賢治を花巻の農林学校へ入学させることにします。
高校を卒業後、賢治は教師になりました。この頃から彼は本格的に童話や詩を書き始めます。
しかし、37歳で他界してしまいました。
宮沢賢治は生涯のうちに百作もの童話と一千もの詩を書きました。
彼が35歳のときに書いた《雨ニモマケズ》は有名ですね。
ミケランジェロ=ボナローティは1475年にフィレンツェで生まれました。
ここはフィレンツェの町の片隅にある小学校です。ミケランジェロが担任の先生に怒られています。
授業中、教科書に落書きをしていたからです。
ミケランジェロの一番の楽しみは町並みをスケッチすることでした。
13歳のときに才能を認められ、画家のギルランダイオ先生に弟子入りします。
しかし、ミケランジェロは絵を描かせてもらえず、雑用ばかりさせられました。
もちろん、先生はミケランジェロに意地悪をしていたのではありません。
ギルランダイオ先生の紹介で、ミケランジェロは彫刻を学ぶ学校へ行くことになるのです。
ミケランジェロの彫り上げた像を見て、簡単の声を上げる人がいました。
当時のフィレンツェを治めるロレンツォ氏です。
ロレンツォはミケランジェロを自分の屋敷に住ませることにしました。
ミケランジェロに好きなだけ彫刻の勉強をさせてやりたいと思ったからです。
ところが、三年後にロレンツォ氏は他界してしまいます。
悲しいこともありましたが、ミケランジェロの彫刻の腕前は上がっていました。
ビエタの像ができたのは1498年です。一度でいいから実物を見てみたいですね。
ミケランジェロは彫刻、絵画、建築などの分野で数々の傑作を残しました。
最も有名な作品といえば、やっぱり〈最後の審判〉(壁画)でしょう。













