国際版 少年少女世界伝記全集⑮ 《トルストイ/平賀源内》 | TAKAYAN'S ROOM

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少年少女世界伝記全集の第15巻です。




トルストイは真相を求め続けた文学者です。平賀源内は江戸時代の発明家です。



レフ=トルストイは1828年にロシアで生まれました。



トルストイが2歳にならないうちに、彼の母親は逝去しました。
父が母のことを話してくれると、トルストイは心に母の姿を描こうとするのでした。



外交官を目指すトルストイは大学に入学しましたが、三年ほどで中退してしまいます。



トルストイは土地を父から受け継ぐと、農民たちの暮らしを助けたいと思いました。
しかし、農民たちは『貧しくても今の生活がいい』と言うのでした。



1853年にロシアとトルコが戦争を始めました。
兄のニコライと共に、トルストイも軍に入って戦いました。
彼の頭に疑問が浮かびます。なぜ戦争をするのか? 愛国心とは何だろう…?



トルストイがパリで見た光景…



トルストイは34歳のとき、ソフィアという女性と結婚しました。
この頃、有名な文学である〈戦争と平和〉の執筆を始めそうです。
妻のソフィアも原稿の清書などを手伝ってくれました。


トルストイは常に自分を厳しく見つめる人でした。
また、戦争の原因について深く考えて論文を書きました。
1910年、彼は永遠の眠りに就きました。



数々の分野で活躍した天才と言われています。




幼い頃の平賀源内は四方吉(しもきち)と呼ばれていました。
四方吉は友達と遊ぶよりも職人の仕事を見るほうが好きでした。



何にでも興味をもつ四方吉を見て、父は『こいつは天才かもしれない』と思いました。
父は菊池黄山の所へ四方吉を通わせて、漢文を覚えさせました。
四方吉は漢文を学ぶだけでなく、自分で詩を書いたりもしました。
また、たくさんの本を読みました。そして月日は流れて…



25歳から四方吉は嘉次郎と名乗るようになります。
嘉次郎は長崎で外国の文化に触れ、学問への情熱を燃やします。



長崎で見た海外の製品を参考にして、嘉次郎は様々な物を自作してみせました。



嘉次郎は29歳のときから名前を源内と改めました。

平賀源内は物産展を開いて、大勢の学者を招待しました。



平賀源内は小説も書きましたし、本草学者としても優秀な人物でした。

また、寒暖計やエレキテルを作ったりもしました。