少年少女世界伝記全集の第14巻です。

モーツァルトは才能に恵まれた音楽家でした。
レセップスは『不可能を可能にする天才』と呼ばれた実業家です。
1756年、ウォルフガング=モーツァルトはオーストラリアに生まれました。
3歳になったばかりの男の子がピアノを弾こうとしています。
この男の子こそがウォルフガング=モーツァルトです。
5歳になると、ウォルフガングは楽譜を見ただけでバイオリンを弾いてみせました。
父親は『ウォルフガングを立派な音楽家にしてやりたい』と思いました。
モーツァルト一家はウィーンの宮廷に行きました。18世紀のウィーンは音楽の都だったのです。
ウォルフガングは自分が作った曲を披露します。彼は6歳で既に作曲ができるようになっていたのです。
ウォルフガングが22歳のとき、母が他界しました。大司教の反対を押し切って、彼は旅立ちます。
ウォルフガングはブラハでピアノの教師の仕事をしてお金を稼いでいました。
短い間でしたが、あのベートーベンもウォルフガングのレッスンを受けたのです。
ウォルフガング=モーツァルトは間違いなく天才でした。
彼は音楽の都であるウィーンが大好きでした。そしてウィーンで天に召されました。
フェルジナン=ド=レセップスは1805年の11月にベルサイユに生まれました。
フェルジナンは恐れを知らない少年でした。
乗馬のレッスンを受けているときに馬から振り落とされたこともあれば、
川を泳いでいて溺れそうになったこともあります。
中学を卒業後、フェルジナン=ド=レセップスは法律の勉強をしました。
そして20歳のときに外交官になりました。
26歳のとき、船の中で読んだ本がレセップスの運命を決めたと言ってもいいでしょう。
『インド洋と地中海を結ぶ運河…』
この話にレセップスは夢中になりました。
レセップスは人々に運河の必要性を話します。そして〈万国スエズ運河会社〉ができたのです。
1859年に地中海と紅海を結ぶ運河の工事が始まりました。
運河の開通の日が近づくと、砂漠に町ができました。
しかし、彼はパナマ運河が開通する前に他界してしまったのです…













