少年少女世界伝記全集の第4巻です。

福島県で生まれた医者とノルウェーの探検家のことが記されています。
野口英世は実力主義の世界へ飛び込み、病原菌や毒の研究を続けました。
ここは福島県の磐梯山の麓にある小さな村です。
野口家で一人の男の子が生まれました。彼は『清作』と名付けられました。
清作は幼い頃、火の中へ左手を突っ込んでしまいます。
左手が使えなくなり、清作は近所の子供たちに笑われました。
しかし、アメリカ帰りの医者が清作を救ってくれました。
当時の麻酔は効果が薄く、手術中にも激しい痛みに襲われますが、清作は耐えてみせました。
手術は成功して、清作の左手は動くようになりました。
『自分も医者になろう』
このとき、彼は決心しました。
21歳になったときから、清作は『秀世』と名乗ることにしました。
そして研究所で医学を学びました。
進んだ医学を学ぶために、野口秀世はアメリカへ渡ります。
野口英世が1918年に黄熱病のワクチンを作ったのは有名な話ですね。
ところが、南アメリカの黄熱病には有効だったワクチンも、
南アフリカの黄熱病には効かなかったのです。
そしてワクチンの研究を続けるうちに、野口英世も黄熱病に感染してしまうのでした。
アムンゼンは『医者になれ』という親の言葉に反対して、探検家の道を選ぶのでした。
高校生のときに読んだ一冊の本がロアルト=アムンゼンの心を動かしたのです。
アムンゼンは大学を中退して、海技士の資格を取りました。
彼の夢は北極海にある北西航路を発見することです。
船を動かせるだけでは、探検家とは言えません。アムンゼンは観測の勉強などもしました。
いよいよ北極海へ出帆です。
果たして北西航路は見つかるのか?
そして自家用の飛行機で空からの観測も行いました。
アムンゼンは北西航路を発見して北極点を征服した後、南極点を征服しました。
1928年に北極で遭難したイタリアの探検隊の捜索に向かいましたが、
行方不明となりました。













