先日の満月の時に、
「おもっくそ寝たいぞなもし」と下っ腹辺りが申すので、
ほぼ一週間寝倒しました。
そろそろ床ずれが出来始めたので、
今度は「お外に出たいぞなもし」とまたまた下っ腹が申しまして、
大戸屋で一人ランチ♪
神様仏様に私の腹を通して捧げたwww
昼ビール🍺美味し!
実は、日曜日は孫娘の運動会だったのですが、
ホラ、あれだ、私、運動会は出場者なら萌える燃えるんですが、参観者だと、いきなり首にリードを付けられた猫のように、動かなくなってしまうもんで
そんな母親を気遣って、長女ちゃんは今年は末娘に参観&お弁当共著のご依頼されました。
定時制高校に通う末娘さんは、授業が終わり片道1時間はかかるのに、速攻姉ちゃん家に馳せ参じるという軽技。
素晴らしき16歳の細胞!
ご苦労様です!
しかし、流石に今日のこの暑さにやられたらしく、
「つかれました。」
とLINEしてきました。
そして、あの末娘さんから思いもよらないこんなお言葉を頂戴いたしました!
昼ビール呑んで良かったと思いました。✨✨
最近私の大好きな人たちがにわかに「お金」のお話で大盛況されているからか、
末娘さんが先日高校の遠足で東京都庁見学に行った費用を清算してもらう際、ある素敵なお話を思い出しました。
そのお話とは、
商業高校に入学して初めての珠算の先生(東京下町商家ご出身)の授業で聞いたお話です。
これから私の授業では、
「願いましては」(願いまひてーはーと江戸弁で)と言います。
これは、お金の計算をするときに、金額を読み上げる人、計算する人が共に呼吸を合わせ、お金やそのお金を使った人たち(お客様)に、
敬意払い「(お金を)算させていただく」という思いが込められています。
日本の商いの世界ではそんな「志」を持って長い間繁栄してきました。
また、皆さんにはお小遣い帳や家計簿などでおなじみの「貸借対照表」というのは、
お金を使った人の生き様がありありと反映されているものの一つでもありますから、
一銭の狂いもなく丁寧に計算された額を記さなくてはなりません。
ただ慎重になりすぎて眉間に皺を寄せて計算しちゃいけねぇよ
お金は使った人の人生を豊かにするものですから、
軽やかに、あくまでも明朗に数える必要があります。
普通科の志望校に行かれず不貞腐れていた私は、
まさかこの高校でこんな素敵な授業を受けるとは思いもよらず、机に俯せていた顔を思い切りあげて、
いつしか前のめりになって、珠算の先生のお話を聴いていました。
それは、学校で受けた生まれて初めてで最後の「お金の授業」でした。
それから3年後、私はこの珠算の先生の教えを胸に、意気揚々と社会へ出たのでした。が。
残念なことに、社会ではお金の計算は「間違い探し」ばかりが横行し、
経費削減という「お金を使う(払う)事はよろしくない風習」
だったことで、私はいつしか珠算の先生の教えを忘れて、随分と「使ってはいけないお金」に翻弄してしまう人生を長いこと送ってしまいました。
それは当然ながら4人の子どもたちにも大きく影響して、
親子間で大きな溝が生まれてしまったこともありました。
例えば今回の遠足の費用精算の時、
「アレ?残金足んないじゃん?」の私の言葉に、
むちゃくちゃ動揺する末娘。
「しっ知らないうちに無くなった」とか
「だからー!計算とかマジ大嫌い!」とブチキレる。
ここにも影響が現れていると感じました。
で、いつもなら「なんだとぉーごるぁー」とブチキレ倍返しするのですが、
先程の珠算の先生のお話がふと頭に浮かんできていたので、
ゆっくり深呼吸一つして、
珠算の先生のお話を末娘にしてみました。
いつになく、静かに私の話しを聞いていた末娘でしたが、ポソッと一言。
だってー、お母さんがお金の話する時って、眉間に皺寄せてさ、
超おっかねー顔して話すんだもん。
あらららららー!
そ、だったのね〜〜〜〜
すまんかった、末娘よ。
ただ今回、末娘に珠算の先生のお話をした私は、末娘に話すことによって、
お金を明るく朗らかに軽やかに算えて行こうと、
(願いまひてーはーってね)
初心に戻ることが出来ました。
深く感謝
また、子どもに学び直しの機会を与えてもらえましたよ〜
子育ては自分育て、ですね。
しかも私は4人の子ども+2人の孫+孫のパパさんがいる訳ですんで、
願いまひてーは
4+2+1=7
7人が寄って集って私を育ててくれることになりますね。
深×7感謝
お金は使った人の人生を豊かにするものならば、
お金の出入りを表す「貸借対照表」は、
私たちの豊かな人生の証、
軽やかに明朗にお金を算えて記す貸借対照表は、
「幸せの貸借対照表」になる。✨✨✨