ここのところ、そういうのをもろに実感する体験をしました。

信仰仲間のNさん、ご主人が信仰が大嫌いで、Nさんの信仰活動をやたらとさまたげるらしい。

「俺と信仰とどっちが大切だ!」と暴れたりもするらしい。

Nさんはそんなご主人が憎たらしくて仕方ない。


「こんなにあたしは旦那を思って信仰をしているのに・・・・」


あれ?これってどこかで聞いたことがある。


20数年来の付き合いの友達。

再婚相手が、結婚10年目にして、浮気。

それを苦に精神の病に罹ってしまった。


「こんなに愛しているのに裏切られた・・・」


あれ?これもどこかで・・・・・。


ご本人、社会で名を上げて活躍されているので、あまり詳しく書けませんが。

かくゆう私の最初の旦那さんも、女遊びの激しい方で、それでいて私の信仰が気に入らず、Nさんの旦那さん同様の言葉を吐いたりもしてました。

2度目の結婚相手、この方も女子高生と援交とかして、最後は私の子供に手を出し。。。。。


「こんなに愛しているのにどうして?」


言ってました。あたし。たっぷり。





正味15年の歳月の中。


ここにきて「なぜ?私は男運が悪いのか」を真剣に考えました。


男運というもののせいにしていた。

こんなに愛しているのなら、どんなに裏切られてもとことん愛し続けること、考えてもみなかった。


「無償の愛」


簡単なことのようでとても難しい。


不変の愛の存在は知っていて、誰からその愛を受けていたにもかかわらず。。。。


なんと、傲慢なあたし。


「カルマの法則とは、自分がクリアしていない課題をクリアするまで熱心に指導してくれる家庭教師のようなもの。」


そうおっしゃる方々にここ1年間の間に出会えて、


「なるほど、そうか!」と心から思ったのは、このお二人のお友達のお陰でもあります。



あたしはもう二人の男性と別れてしまいました。


「覆水盆に返らず」です。


今思うことは、心の底から、命の底から、魂の全てをかけて、二人の男性へ「無償の愛」を祈り捧げることしかできません。

傍にいる事はできません。


なんて歯がゆい状況を作ってしまったんでしょう。



あたしの踏んだ道を踏まないように。

どうか、この場で気付いてくれるように。


この二人の女性に幸あれ!