今年も1月17日を迎えた。
今から29年前の朝5時46分。
日頃少々うるさくとも一旦寝ると起きない私が、地震の揺れで目が覚めた。
地震だなと思ったが、眠気に勝てず。
朝7時ごろテレビを付けて愕然とした。震度6。
住宅街が広範囲に燃え、高速道路の高架は軒並み倒れ、かろうじて残った高架の端からバスが落ちかかっている。ビルは低層階で座屈し、あるいは形を留めたままこけている。
どうしてこんなことが…
6434名もの尊い命が失われる。
その他重軽傷者も43792名。
住宅の全壊104906棟
半壊144274棟
一部破壊390506棟
合計639686棟
様々な分析で、建物倒壊で亡くなられた方々は、全体の83.3%。
家の耐震性があれば救われた命も多かったに違いない。
兵庫県は、「阪神淡路大震災記念 人と防災未来センター」を創設。防災・減災の世界的拠点となることを目的に神戸に設立。
一度は訪れてみるべきであり、震災の悲惨さ、人々の温かさを再確認する施設である。
しかしである。
阪神淡路大震災後も、度々大きな地震が各地を襲った。
平成28年熊本地震では、被災建物応急危険度判定士として判定業務に当たった。被災地の状況も目の当たりにした。
大きな地震では、その度に倒壊した建物の下敷きで多くの尊い命が犠牲になっている。29年たった今でも。
(東日本大震災では津波による溺死が最大の死因である。)
今年元旦、能登半島を襲った震度7の地震もそうである。多くの方が、倒壊した建物の下敷きで亡くなられた。
今年、全国木造住宅耐震事業者協同組合の全国大会が行われた。
講師に、跡見学園女子大学観光コミュニティ学部教授・(一社)福祉防災コミュニティ協会代表理事 鍵屋 一先生のご講演だった。
先生は、私が議員研修でお世話になった先生である。
常々先生は、命を守る防災のコツは、早く逃げる事、そして早く逃げれない人は、家を強くし、家具を倒さない事であると仰せになられる。そして、耐震工事の自己負担をできない人は、亡くなっても仕方ないと言うのか、と憤られる。正にそうである。
政府は、震災の度に復興に巨額の資金をつぎ込む。致し方ない面もある。インフラ整備、仮設住宅。この度も、能登半島地震の復興のため、令和6年度の予備費を1兆円に大幅増額するという。せめて取り戻すことのできない尊い命を守るために、全国全棟耐震化に予算をつけるべきではないのかと思う。そうすることで、仮設住宅などの費用は削減される。
耐震性は時代によって変わってきている。昭和56年6月より新耐震基準が適用されている。それ以前は、旧耐震基準で建てられており、ただし、その住宅は旧耐震基準を満足しているのだ。
上の表を見てわかる通り、古いアパートや住宅に住まわれている多くは、若者と高齢者が中心である。特に高齢者はいざという時逃げることは難しい。
震災が起きた時、インフラ整備や仮設住宅や倒壊した建物の除去に巨額の費用が発生する。ただ亡くなられた方は、どれだけお金を積もうと戻ってこない。それなら、耐震補強を国費で賄い、震災があっても安心して住居に留まることができ(ただし津波の場合はいち早い非難が必要)、また避難するにも、道路が倒壊建物による通行止めもなくスムーズに避難ができる。
耐震性は我が社も長年取り組んできたところである。
阪神淡路大震災30年へ向け、心して住宅の耐震向上に向き合おう。そして既存住宅の耐震性を上げることが、住む人を守り、更にその地域の人を守ることにつながると信じ、耐震の専門業者として誇りをもって取り組もう。誓いを新たに進もう。
これから南海トラフ地震も対策が急がれているところである。
せめて私たちの世代に、根本的な、しっかりとした対策を講じるべきである。震災が起きてからの後手の対応はもうやめよう。
元旦に発生した能登半島地震の教訓を次につなげなければ、阪神淡路大震災での尊い犠牲が無になってしまう。
29年たった今も、私たちにもっとやることがあると訴えかけている。決して忘れてはならない今日である。
地震はいつ起こるかわからない。備えよう、家の耐震性と家具の転倒防止。心して取り組もう。