第三十四回映画レビュー~64-ロクヨン-前編~ | novel2017のブログ

 

 

基本的にはどんな映画も好きだが、国家組織や、正義ものは特に好きだ。

強い奴の上にさらに強い奴がいたり、巨大な黒幕によって操られていたりする展開はぞくぞくする。多分男性はこういうのに惹かれる人多いのでは?ほら、漫画のナルトでも、ナルト達よりつよい敵がいると興奮するのと同じ。

もうひとつの正義ものは、正義感が問われるちょっと難しい映画。何が正しくて何が間違いか。それをじっくり考える映画を好む。キムタク主演の「HERO」はまさにドンピシャ。ドラマとかでも堺雅人と新垣結衣の「リーガルハイ」とか、法廷物は楽しい。なんだろ、不条理なこととか、現実ではたとえ間違っていても声を上げることのできない理不尽を映画の中ではぶった切ってくれるその爽快感がたまらない。

ストレスたまってるんだなあ、俺。

 

ロクヨンはこのどちらにも属し、ある意味でどちらにも属さない映画だったように思う。

昭和64年というたった数日しかなかった年に起きた女児誘拐殺人事件。その事件が時効前にして再び動きだすところからこの映画は始まる。一見、典型的な警察組織の映画かと思いきや、そうでもない。逆らえない上司や本部長など警察の闇は度々登場するが、フォーカスされるのはあくまで主人公・三上の心情。そして実名報道をするかしないかで記者クラブともめるのもこの映画の一つの主題でもあるが、これはまさに正義感のぶつかりあい。まさに私の好きな王道パターンを二つとも取り入れている。おもしろくないわけがない。

 

 

ところで昭和64年とはどんな年だったのだろう。

私は平成3年生まれなので、昭和とはずいぶん古めかしく聞こえるのだが、よくよく考えるとそんな昔でもない。生まれる3年前は昭和なのだから。

たった7日間しかなかった昭和64年。やはりここにある種のロマンチシズムを感じずにはいられない。私も、うるう年(2月29日)生まれの人と昭和64年生まれの人、どちらに先に会えるかずっと楽しみにしている。まあ数でいえば64年生まれの方が多いのか。だって普通うるう年に生まれそうだったら予定日ずらすだろうし。あ、でもこれからも数が増え続けるのはうるう年か。もう64年生まれの人は増えることはあり得ないし。

 

 

話はそれたが、いい映画なのは間違いない。が、ちょっとハードル上がりまくってるけど後編大丈夫すかこれ。こけないことを祈るばかり......。