”キリスト教日本八大布教の地だった、現在の竹田市。そこには面白い発見や逸話も!?”

 

 

僭越ながら、大分学検定連覇中の私。ふるさと大分について学んでおります✎

 

Cf:YouTube第9回しんけん大分学検定表彰式動画https://youtu.be/fUheYqXYM3I

 

 

今回、「竹田キリシタン学検定」という新しく誕生した検定を受検♰

竹田キリシタン学検定

キリシタン→長崎・熊本(天草)」を連想される方が多いのではないでしょうか?

しかし、実は大分県もキリシタンが多くいたとされ、キリシタンに関する文化財も多いのです!

 

私もこれまでに大分県のキリシタンについて学習する機会も多し(過去記事などは後述)。

大分県の中でも、竹田市には多くのキリシタンがいらっしゃり、文化財も多く残っているといわれます。

Cf:YouTubeキリシタン文化♰」動画集https://youtube.com/playlist?list=PLCP8H0iqHBwCERznqAj-qEGNgUYKzl19H

 

 

そこで今回、「竹田のキリシタン文化」について大分学名人(!?)&仏教徒の私がご案内(`・ω・´)ゞ(笑)

これまで学んだことをもとに、

  • 「なぜ竹田市にはキリシタン文化が花開いたのか?」
  • 「竹田市にはキリシタンに関するおもしろいスポット&エピソードがあるけんな!」

…を、私なりにご紹介いたしますm(__)m
一人でも多くの方がキリシタン文化や竹田市にご興味を持っていただければ幸いです♪

 

※あくまでも素人による紹介です。プロではございませんので、ご了承くださいm(__)m
また、下記には調査中の内容あり&これまで私が習った講師個人の考察もあるとのことです。他にも様々な考察もあり、また今後新しい発見もあることでしょう。

一例としてご参考までにお読みいただければ幸いですm(__)m

 

<♰目次>

  1. 日本のキリスト教八大布教地、朽網(くたみ)|朽網宗暦=ルカス?
  2. 志賀氏の時代|ドン・パウロ、キリシタン7~8千人、薩摩島津軍との激闘
  3. 中川氏の時代|古田織部、城下町にたくさんのキリシタン文化財
  4. 竹田市のキリシタン文化財|ひも解くと、おもしろい発見も
  5. キリシタン洞窟礼拝堂|全国で唯一竹田にだけある洞窟礼拝堂の特徴
  6. おもしろエピソード|お役人も実は…!?
  7. 近年の竹田キリシタン文化調査|日常生活の中にあるキリシタン文化、課題
  8. まとめ|文化を知る=知的興奮へのいざない

 

YouTube大分県竹田市のキリシタン文化紹介動画https://youtu.be/UDTVbSoX0BU

【大分学】竹田のキリシタン文化|おもしろいエピソードたくさん!

 

(1)日本のキリスト教八大布教地、朽網(くたみ)|朽網宗暦=ルカス?

♰朽網地方について

現在の大分県竹田市久住町・直入町は、かつて「朽網(くたみ)」と呼ばれていました。

久住高原や長湯温泉のある地域です♨

 

▽大分県竹田市は、大分県の南西部。熊本県阿蘇地域や宮崎県高千穂地域に隣接。

▽朽網地方(現在の久住町・直入町)は、竹田市の北部です(赤い丸で囲んだ地域)。

(地図の出典:Map-It マップイット | 地図素材サイト

 

Cf:📝久住町の「豊後くたみ温泉ほていの湯」さんのように、今でも朽網の名が使われていることもあり!

YouTube豊後くたみ温泉ほていの湯動画https://youtu.be/jFJ7ZL1cJwA

 

♰領主:朽網宗暦氏がキリスト教布教に積極的→キリスト教の日本八大布教地へ

この朽網地方の領主:朽網宗暦(くたみ そうれき)は、家族や家臣団をキリシタンにすることに積極的でした。

ついには約300人ものキリシタンが朽網で誕生。当時の人口規模ではかなりの割合でキリシタンが誕生したとのこと。

ゆえに、この朽網地方は「キリスト教の日本八大布教地」の一つとして、ヨーロッパに伝わることとなりました。

(Cf:では他の7地域は?…を調べるも、朽網以外は判明せず。。。m(__)m💦)

 

史料によると、朽網には「ルカス」と呼ばれるキリシタンリーダーも存在したようです。(朽網宗暦氏と同一人物かは不明。)

彼のお墓ではないかと推測される文化財もあり。こちらについては(4)章でご紹介。

 

 

(2)志賀氏の時代|ドン・パウロ、キリシタン7~8千人、薩摩島津軍との激闘

日本最強の城 大分県竹田市の岡城(日本100名城)

 

♰若き岡藩主:志賀親次公

朽網地方でキリシタンが増えるころ、現在の竹田市や豊後大野市などの大部分を治めていた岡藩(おかはん)の藩主もキリスト教に興味を示しました。

志賀親次(しがちかつぐorちかよし)公という藩主です。

志賀家は、豊後(今の大分県の大部分)を治めていた大友家御三家の一つであり、豊後でも名家とされました。

親次公は志賀家17代の若き藩主であり、大友宗麟公の孫

洗礼を受け、「ドン・パウロ」と名乗った。

 

♰イエズス会も注目!志賀親次公の信仰熱心さ

親次公は信仰熱心。

現在の岡城の御廟所にあった自身の屋敷を教会にしたり、自らの左腕に十字架の入れ墨をしたり。

イエズス会は熱心な親次公に注目。

当時の日本で最も有名だったキリシタン大名高山右近公になぞらえて、「西の右近」と呼ばれました。

現在の竹田地域でもっとも信者が多かったのは、親次公の時代と言われます。

当時の宣教師による記録では、「竹田ではすでに7~8千人が洗礼を受けており、今現在も3万人が洗礼を望んでいる」と。

 

♰豊臣秀吉公・島津軍と島津親次公・岡城|難攻不落・日本最強の城のゆえん

YouTube日本最強の城 岡城紹介動画https://youtu.be/q0ygfGRQGi0

  

岡藩内でのキリシタンも順調に増える中で、逆風が発生。

1587年、豊臣秀吉公が「伴天連追放令(バテレン-)を発令。

(Cf:バテレンの語源:ポルトガル語で神父=「パードレ→当時の日本人には「バテレン」と聞こえたことに由来か。)

 

同時に、九州統一をめざす秀吉公は、薩摩の島津軍と豊後の志賀軍との戦にも注目。

勢いある島津軍は3.7万人の大軍で岡城を攻めます。

しかし、親次公は優秀な武将でもあり。岡藩のわずか1千人の兵力で、島津軍を撃退

難攻不落の城、日本最強の城、岡城」たるゆえんがここにあり!

(岡城は崖の上にあり強固&城を囲む2つの川が島津軍を煩わせたとさせ、自然の要塞の強さを証明。)

この親次氏の強さを見た秀吉公、さすがにキリスト教をやめろとは言えなかったそうな…。

 

ただ、親次公のキリシタン信仰も長くは続かず。のちに秀吉公の命による朝鮮出兵が転機に。

主君である大友吉統公へ、親次公が誤った情報を伝えてしまう→これがきっかけで吉統公は秀吉公の怒りを買い、豊後を没収

→その責任を感じた親次公は、自ら岡城を離れ、山口県へ。毛利輝元公に匿われた。ゆえに、親次公のお墓は山口県宇部市にあり。

 

(3)中川氏の時代|古田織部、城下町にたくさんのキリシタン文化財

♰近畿から中川氏が入城。キリスト教にも寛容

親次公が岡城を去り、城主不在が1年続いた岡城。

そこに、播州三木(兵庫県三木市)の中川秀成公が入場。

中川家は大阪茨木城主。隣の高槻城を、従兄弟でありキリシタン大名である高山右近公が治めていた。

 

♰2つの家紋:「柏紋」と「中川クルス」

秀成公が洗礼された記録はなし(兄の秀政公は洗礼を受けたとの記録あり)。

ただ、秀成公がキリスト教に寛容だったと推測できるものがあり。

それは…家紋!(≠嘉門達夫)

 

▽一般的には、こちらの「柏紋」(3つあるうちの上の紋)を使用。柏の葉をあしらっています。

実はもう1つ家紋あり!

 

中川クルス紋

よく見ると、イエズス会の紋章である「IHS」の文字が隠されているという説あり。

もしかすると、キリスト教に寛容だったのではと推測できる根拠です。

<♰2つの家紋に関するエピソード>

♰柏紋は一般向け

 禁教令下において、幕府から指摘されないために使用した家紋

♰中川クルスが○で囲まれているワケ

 中川クルスには、もともと外側を囲む○印はなし。では、なぜ○を付けたのか。
 これは、三大藩主:久清公の時代、幕府から「この家紋は十字架ではないのか?」と咎められた
 →外側に○印を加え、「馬の轡(くつわ)である」と弁明したことに由来するそうです。
 (聖書か何かの教えで、キリスト教信者は、「十字架ではなく馬の轡だと説明せよ」という教えがあるようだ。)

♰豊後大野市の深山流朝地神楽では、中川クルス紋を使用

 たとえば赤いお面をした荒神の衣装胸当て部分に使用。

 他の神楽座でも使用されているかもしれません。

YouTube2019秋 朝地町の神社奉納「柴曳」「五穀舞」動画→https://youtu.be/bf8vWpT4pFI

  

豊後大野市青年団の後輩が、2つの家紋を知っていた!

 豊後大野かるたの絵札担当をしていな青年団後輩が、2つの家紋を描き分けていたことにビックリ👀

 彼女はきちんと2つの家紋のことを知っていたそうです!

 

♰中川清秀公と古田織部公|キリシタン洞窟礼拝堂につながる&「パライソ(パラダイス)」

竹田のキリシタン文化において重要になるのは、藩主の中川氏&藩の筆頭家老(藩の2番手)である古田家です。

古田織部公をご存知でしょうか? 千利休亡き後の天下の茶人です☕

織部公は、中川清秀公(初代藩主:秀成公の父)の妹を妻にし、中川家を支えました=古田織部公&中川清秀公は義理の兄弟
また、織部公の長女:せんは、中川秀政公の養女へ。
このため、織部公の血筋は中川家にも引き継がれ、現在も末裔が古田姓を名乗られているそうです。

 

(5)で紹介の「キリシタン洞窟礼拝堂」は、この筆頭家老:古田家の屋敷の裏手にあり(当時の家老は古田重治公)。

岡藩の2番手の家の近くに、禁教関連施設がある…いかに岡藩がキリスト教に寛容であることか(笑)

古田重治公=キリシタン家老であり、洗礼名「ヨハネ」です。

実際、キリシタン弾圧の厳しかった島原・天草のキリシタンからは、岡藩=「パライソ(パラダイス・天国・楽園)」と呼ばれていたそうな♪

 

 

…このように、現在の竹田地域では長い間、領主・藩主の力もあり、キリシタン文化が花開いたのです🌸

 

(4)竹田市のキリシタン文化財|ひも解くと、おもしろい発見も

キリシタン文化が花開いた竹田市に残るキリシタン文化財をいくつかご紹介!

♰原のキリシタン墓碑(INRI)

大分県竹田市直入町の「原のキリシタン墓碑(INRI)」

直入町(朽網)にあるT字型の珍しいお墓。ルカスのお墓ともされます。

石碑は十字架の一部ではと考察。

刻まれた文字「INRI」=「ユダヤ人ナザレの王イエス」の意味。

♰顔のない十字入りの木製坐像

朽網地域にある、キリシタン集団墓地そばの祠で発見されたものだそうです。

生月神社(長崎県平戸市?)と記銘のある箱に入っていたそうです。

一説では、長崎~府内を往来する宣教師が、破壊を免れるために朽網へ持ち込んだものでは?とのこと。

なお、烏帽子部分に十字架あり十字架

♰聖ヤコブ像

大分県竹田市の「聖ヤコブ像」

ヤコブとは、新約聖書に登場するイエスの使徒のひとりです。
日本でヤコブの像だと言われるのは、この竹田の石像のみだそうです。詳細は不詳。

素材は地中海の砂岩?→伊のモンテ・サンジョルジョ産か?
13世紀頃の様式→見つかったのは16世紀前後(300年後)⇒16世紀に大地震があり、その影響で神殿と石像が崩れ、頭部だけ布教で使用された?

♰サンチャゴの鐘

大分県竹田市の「サンチャゴの鐘」
サンチャゴの鐘は、長崎の教会付属サンチャゴ病院にあったとされます(サンチャゴ=聖ヤコブのラテン語読み)。
国内で同型銅鐘は、竹田以外に4つしかない貴重なものだそうです。
1612(慶長17)年の銘あり。
1620(元和6)年に長崎奉行により破壊されたそうですが、なぜかこの豊後竹田の地に鐘があります。
中川神社所有、現在は歴史資料館展示の国重文。
2012年の岡城400年祭にて、サンチャゴの鐘のレプリカが完成!3Dなどで成分を分析、忠実に再現。

 

この他にも多くの文化財があり!

詳細は📝2015年竹田城下町キリシタンウォーク記事をご参照くださいm(__)m

 

 

(5)キリシタン洞窟礼拝堂|全国で唯一竹田にだけある洞窟礼拝堂の特徴

数多ある竹田キリシタンの文化財。その中でも特筆するのが、武家屋敷のまち:殿町にあるキリシタン洞窟礼拝堂
大分県竹田市の「キリシタン洞窟礼拝堂」

洞窟礼拝堂は全国各地にあるそうですが、ノミを使って人力で掘った洞窟礼拝堂は竹田だけだそうです。
高さ3.5m、幅・奥行きともに3mの空間です。

2015年秋の城下町ウォークで、特別に中に入ることができました☆
▽雨のため、室内は薄暗く…。フラッシュ撮影でなんとか洞窟内を把握。

かつて、この祭壇は金色で彩られていた&マリア像があったそうです。

 

また、多くの興味深い点もあるとのこと。
例えば…

  • 400年もの歴史あり:世界遺産:長崎の教会群で最古の大浦天主堂でも150年レベル
    →当時の日本は禁教令下にもかかわらず、この礼拝堂が堂々と彫られたこと。
  • この礼拝堂のある土地が、かつて中川家重臣の古田家(織部の子孫)のものではないかと考えられること(先述のとおり)。
     →礼拝堂へ続く道の左右を、今も古田家と高山家とが守っていること
  • 大坂夏の陣で徳川方に与した中川家が、なぜか敵方である豊臣氏のカトリック神父を匿っていたこと(MAX7名も)


また、竹田市には稲荷神社が多いのが特徴。
(あくまでも一説ですが、「INRI」→「INARI」となって普及したとの説も。)
この洞窟礼拝堂と稲荷神社との関係も面白い!
なんと、この礼拝堂と同じ五角形の稲荷神社が複数存在していること。
それらには、3つの共通点あり。

  1. 五角形の洞窟内に祭壇と思われる彫り込みあり。
  2. その横には、人々が集まる広場スペースがある。
  3. そばに湧水がある(キリスト教の儀礼で水が使われたとされる)。

▽(2)広場の例(殿町礼拝堂にて)


▽豊後竹田駅裏にある稲荷神社。
 よく見ると、五角形の彫り込みあり!
 よく目にしていた稲荷神社ですが、礼拝堂での学習のおかげで、新たな発見あり!

最後に、礼拝堂へ続く道沿いには、ツバキが植えられています。
ツバキは、日本でのキリスト教を象徴する花
殉教者を表しているのだとか(首が落ちる=斬首、赤い色=血など)。

 

 

(6)おもしろエピソード|お役人も実は…!?

キリシタンの城下町竹田で、藩のお役人に関する2つのおもしろエピソードをご紹介!

 

♰踏み絵会場は…(笑)

竹田駅前郵便局付近の建物。江戸期、「垂水屋」という商家&役所だったそうです。

ここで踏み絵が行われました。
たくさんの民衆が押し寄せ、なんと床が抜けたそうです…。
すると、地下通路を発見!
なんとその先に、キリシタンの礼拝室が隠れていたのです!マリア像(一説では壁画)があったとの伝え。
実は、踏み絵検査の役人もキリシタンだったという(笑)

 

♰長崎奉行所にバレた💦

岡藩が無断で複製した踏み絵レプリカの存在が、なんと長崎奉行所にバレたというエピソードも(笑)

  • 長崎奉行所の踏み絵→キリストが描かれている
  • 岡藩の複製レプリカ→聖母マリア(切支丹女仏)が描かれている

この複製レプリカは現存おらず。もし現存していれば超一級品の文化財だそうです。

 

(7)近年の竹田キリシタン文化調査|日常生活の中にあるキリシタン文化、調査の課題

📝2021年大分学研究会例会「キリシタン文化」記事でご紹介した近年の調査内容を引用&1つ加筆。

 

♰朽網地方リュウグウ寺での不思議な慣習

・直入町ニイダ地区、リュウグウ寺跡に続く道=やそつじという道名(やそ→キリシタン由来?)

→リュウグウ寺跡に山の神(キリスト教関係)が安置されている

→INRIの石碑と真向いの位置にあり。

 

ニイダ地区での不思議な慣習(昭和50年代まで)

→月1回、夜間に持ち回りでお堂でお大師を祀っていた。地元の方「おだいすさま、おだいうすさま」と呼んでいた

→本当は「デウス」ではないかと推測。

 

お大師様=真言宗だが、浄土真宗の門前町で行っている不思議

夜集まって、部屋を閉め切って、不思議な歌や呪文を唱和、手に何か持っていた

→子供がこっそりのぞいたところ、親から怒られた(「あなたは知らなくていい」)

 

・参加できる人とできない人が分かれていた

→もしキリシタン時代の名残であれば、キリシタンである者のみ参加できたのでは

 

「朽網観音ごわさん」という歌、観音の伝承あり

 →観音様は現在どこにあるか不明、調査中。

 →歌の調子が、長崎平戸のオラショという調子に似ているのではとのことで調査中。

 

 

♰山にある金毘羅さん

竹田市や豊後大野市の山頂に「金毘羅(こんぴら)さん」と呼ばれる神社が複数ございます。

金毘羅さんは、一般的に海など水運の神様ともいわれます。

では、なぜ内陸の山の上に金毘羅さんがおわすのか。

一説には、キリシタン関連の施設ではないかと。

西洋orキリスト教で、集会のことを「コンフィサン?コンピサン?」と呼ぶ→「金毘羅さん」に匿ったのではとの考察もあり。

 

 

♰課題:キリシタン墓地の発見が難しい…💦

キリシタン墓地の発見は、これ以上難しいのも現状…。

→キリシタン墓地…没年月日や名前などが刻まれておらず、

キリシタンのお墓なのか判別難しい(十字架などのモチーフがないと分からない)

▽キリシタン墓の例(豊後大野市大野町の岡神社にある「ナマコ墓」)

 

※竹田キリシタン情報については、「TAKETAキリシタン謎研究所」Facebookページで随時更新中!

https://www.facebook.com/taketamisterio

 

(8)まとめ|文化を知る=知的興奮へのいざない

  • 現在の竹田市久住町・直入町をさす「朽網」地方=日本八大布教の地
  • 朽網氏~志賀氏~中川氏と、歴代竹田地域を治めた主が、キリスト教に寛容だった
  • 竹田市内には多くのキリシタン文化財が残る・集積している
  • 今後の調査で新事実の発見もあり!?&調査の難しさもあり

 

竹田市のキリシタン文化を紹介しだすと、キリがなくなるほどたくさんの話題が出ますね(笑)

竹田という地域がキリシタンや西洋で実は重要な地だと知ると、新しい魅力を感じたり、PRの軸になったり。

そしてこうした独自の文化が長くたくさん残る=たくさんの方のご尽力に感謝✨

知れば知るほど発見があって面白いですし、謎がまだあることもロマンにつながりますね♪

 

今回は竹田市という土地で、キリシタンという視点から考察・PR。

今後は他の地域で/他の視点で各地を調べると、面白い発見がありそう!楽しみ✨

私自身は、こうした知的興奮/知的好奇心がわくことが好きです♪

ゆえに、大分学も好きなのです♪新しい出会いに感謝&レベルが1upしたような感覚が心地よいです(笑)

あなたもぜひ、各地域の文化や歴史を辿って探ってみませんか??

 

 

長文失礼いたしました💦最後までお付き合いいただきありがとうございましたm(__)m

 
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