今日は、
七月大阪松竹座
       関西歌舞伎を愛する会結成四十周年記念公演

の、千穐楽でした。

夜の部のご挨拶の時に、
この愛する会の前身育てる会を結成するのに
御尽力された澤村藤十郎兄さんがせり上がりで
登場してご挨拶、そして松竹大谷会長から
感謝状の贈呈がありました。

僕が二十代の頃、藤十郎兄さんが夏芝居に出られている頃、良くご一緒させて頂き
夜もお食事やお酒の場にも連れて行って下さいました。
藤十郎兄さんは父と同世代と言う事もあり
今日の父の紹介でも「戦友」と言う言葉が出ていました。
そのお兄さんが、病に倒れられお舞台から遠ざかってらっしゃり口惜しい限りです。
藤十郎兄さんのご挨拶にもありましたが、
当時、歌舞伎の「か」の字を出しただけでも
関西のお客様に敬遠されていた時代に
関西の財界の方などに沢山働きかけて下さり
やっとの思いで興行へ漕ぎ着けられたのだと聞いています。
発会はなさっても直ぐに沢山のお客様に恵まれた訳ではありません
それは僕も舞台からも客席からも感じていました、今月はいつもの夏芝居よりも役者の数も多かったからか?記念公演からか?
初日から大入り満員で役者冥利につきました。
そんな満員御礼の千穐楽の舞台に
せり上がってらっしゃった藤十郎兄さん
久々の劇場スポットライトに最初は眩しそうにしてらっしゃいました。
そして私の個人的な考えですが、
ライトの眩しさからお客様の熱気に眩しさを感じてらっしゃる様に横から見えました。
本当に素敵な笑顔でした、
僕の前に立ってらっしゃる鴈治郎兄さんも
目頭が熱くなってらっしゃった様な…
僕は涙が堪えきれず襦袢で目を何回も押さえました。
幕が降りてからは、皆んな藤十郎兄さんの側へ行き思い思いに握手をして別れました。

舞台から楽屋へ戻るエレベーターの中で
鴈治郎兄さんとご一緒でしたが、
やはり兄さんも目に涙を溜めて堪えてらっしゃいました。
鴈治郎兄さんも、襲名前から
少しでも関西に歌舞伎を…と
夜な夜なポスターやチラシを持って色んなお友達のお店を回られて配ってらっしゃり
お客様などに「ここは、役者さんあまり来ないだろうからリラックスして使えるよ〜」と紹介されたお店も、よくよく見回すとポスターがあり
お店の方に松竹座さんの配ったポスターですか?と問い合わせると
「翫雀さん」が「鴈治郎さん」が
とよく言われる事があります。

そんな地道な活動から
今日のお客様へ繋がっていると僕はそう思います。

僕も見習って、頑張りたいと思いました。


お疲れ様でした。