実は数日前に、

大切な方の訃報を文化庁・伝統歌舞伎保存会の子供歌舞伎の稽古日にある先輩から、聞き凄くショックで
一瞬何も考えられなくなりました。


その人物は、
僕等女形を支えて下さる
女形の床山(鬘の髪を結うお仕事)さんの
高橋社長

高橋さんは脚に重度の障害を持ちながら
何十年と女形の鬘をつくり、そして
役者さんに鬘をかけてきました。

十年位?迄は、我が女形の世界のトップでもあります、玉三郎兄さんの頭(鬘)を七年程担当されていましたが、おみ脚の関係もあり、この数年は基本鬘をつくることと
後進の育成に力を注いで来られました。
が、僕の鬘になるとたまに僕の担当者を退けてまで「俺が行くから大丈夫だよ」と、
重い脚を引きづって楽屋へ来て下さっていました。

ご存知の通り僕の家系は立役(男役)の家系なので、女形の床山さん達とはお付き合いが他の女形さんみたいに百年以上みたいなことはありません
僕で女形に専念する様になって
三十年経っていません
伯父の秀太郎ももともとは、関西歌舞伎に居たので昔は関西の女形の床山さんが担当で、今の東京の会社に移籍したのも五十年位前ではないでしょうか?

なのに、大沢かつらの皆さんは
とても僕を可愛がって下さいます。

先代の大沢社長そしてお亡くなりになった高橋社長も、

特別お酒を酌み交わす仲でもなく、
僕も普段のお礼に特別な事をする事も無いのに、よくして頂きました。

高橋さんは早くに奥様を亡くされて
お身体が悪いのに一人で頑張っていらっしゃいました。
が、昨年かな?若い奥様を貰われ
気が若くなり又凄いバイタリティーが出て来たところで急性のリンパ腫にかかられ
奥様との生活の半分が看病闘病だったのかな?

奥様に伺うと(奥様は仕事の内容を詳しくはご存知ないのですが)
「病室で主人が、意識朦朧としていると何だか紐を口に咥える様な仕草をするんです、、、」と仰って下さいました。

僕は奥様に
「それは、元結と言って髪の毛を結って留める時に使う物を口に咥えたりする事があるので、高橋さんは夢うつつ髪の毛を結っていらしたんですね」
とお答えしました。

職人の世界、我々もですが
生きている限り修行です。

床山さん達も、やはり大きな壁に何度もぶち当たりそれを乗り越えて今があるそうです。役者さんのご趣向、頭の形、顔の形、そして床山さんとの気持ちが一つになった時に素晴らしい鬘が出来上がります。

素晴らしい鬘をかぶらせて頂くと
いつも僕は「この鬘に負けない芝居をしなければ」とよく考えます。

高橋さん
仕事場へ帰りたいと仰っていたそうです、
まだまだ髪を結いたかったでしょう
あちらの世界には前の担当の女形の宗十郎伯父様がいらっしゃるので、たぶん
行くなり直ぐお仕事を始められるのでは、

高橋さん
本当にお疲れ様でした、
残された者達、いっぱい不安はありますが皆んな若手も頑張ってます、どうかお空の上から奥様・床山部屋を見守ってあげて下さい

享年六十八
高橋社長へ感謝を込めて


孝太郎