京都は、両親の育った町


僕の生まれた土地です。



僕は生まれて間なしに
両親と東京へ

母は祇園町のお茶屋の子で芸妓さんまでなってから父と結婚

父、先代仁左衛門の家が当時祇園町近くにあった為、学区が母と一緒で
父と、母は小学生からの知り合い

祇園町には片岡家の親戚のお茶屋さんもあり花街の中でも祇園は特に身近な存在、
今日は先斗町歌舞練場にて祇園町さんの総見

昨晩は、先斗町さんへ
先斗町さんにも他の街にも
両親の幼馴染みが、いっぱい


当時も今も、古典・邦楽の世界は狭く
鳴物、鼓・太鼓・三味線の師匠が同じで十代の頃は舞妓さん達と一緒に稽古する事も度々、役者サイドも舞妓さんに負けるわけにはいかないので一生懸命稽古したりしました。

昨晩は両親の幼馴染みの女将さんのお茶屋さんへみんなで移動、僕が生まれる前の話で大変に盛り上がっていました。


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そんな両親も寄る年波
両親と別れてから家内と二人で
お亡くなりになっている両親のお友達で
僕もお世話になっていた姉さんのお茶屋さんへおまいりに、、、

そのお茶屋さんの若女将にも親子共大変になっています。


そうやって花街と歌舞伎界が
素敵な関係で持ちつ持たれつ、
又京都という町が京都府・京都市によって守って来てくれたこそ残せた文化だと思います。


いま東京の花街の街は大変だとうかがった事があります、それは東京都が料亭などを一般風俗と同じ扱いだそうです。

神楽坂の大女将によると
「講習やら何やら、都から呼ばれると
お隣に金髪に染めたお酒の匂いのする様なお方さん達とご一緒に参加しなければならず、恐ろしいんです」

との事

日本ならではの文化
歌舞伎もそうですが、皆様のお力、支えで残せて行けたら幸せです。

京都に来るといつも考える事を
書きました。


さぁ


出劇して後輩の稽古してきま〜〜す。


コレも我が世界の為( ◠‿◠ )