三月十一日は、
皆様にとって、いろんな思いのある日でしょう

僕もあの時、新橋演舞場に出演されていた
お誕生日の大先輩の楽屋へ訪問し、
自身の出演先、国立劇場へ向かい楽屋にいる時、震災にあいました。

僕がいま女形をやっているのは
三月十一日誕生日の大先輩の一言から始まった事なんです。

歌舞伎は初舞台、子役の頃から成人するまで女形や立役をほぼまんべんなくやらせて頂き勉強をして、だんだんと立役さんや女形さんへ振られていくパターンが多いんです。
勿論歌舞伎には、
立役の家系・女形の家系・両方をやる家系とあり
我が家、松嶋屋は
曽祖父・祖父・父と基本立役の家系です。
自分も同じ立役を目指すものだと父の背中を見て育ちました。

ある時、今日誕生日の大先輩にお稽古をつけて頂きにご自宅へお邪魔し、稽古後リビングへ呼ばれ

『おい、やちゅお(僕の本名がヤスオで小さい時からお世話になっていたので愛称で)お前、背が小さいんだし、近い世代で女形が少ないから女形になんなよ…』

『やちゅおの家は立役なんだから、自分で松嶋屋の女形の型を作っていくんだよ~』
と言葉を頂き
自宅へ帰り父に相談してから、
徐々に女形の道へ歩む事になりました。

あの時、女形が少ないから…と言われた言葉が今になって実感、痛感しています。

僕の世代で女形専門の方はいなく
上の世代では一番近くて福助兄さん
そしてその上が十三才年上の
時蔵兄さん、芝雀兄さん
僕より下は、女形専門では一回り以上年下の七之助くん迄あいてしまうんです。

十二月には扇雀兄さん
橋之助兄さんの相手役をさせて頂き
一月には海老蔵さん、
今月は染五郎さんの女房役
来月は又、扇雀兄さんの女房役

本当に充実した役者人生をおくらせて頂いています、
目標は父の世代の大先輩や又
まだ一緒をした事ない後輩の相手役をつとめる事です。




芝翫のおじさん
本日お誕生日おめでとうございます。

今でもお叱りの言葉やお声が聞こえて来る事が多々…
お叱りの言葉が聞こえてこなくなる日が来るのかなぁ

神谷町のおじちゃん
いつも有り難うございます。

やすお