うちの流派の組み手はいわゆる寸止めだから目標は顔の前に置いているが、軽く流すように受けられたときに、大きく突き抜けてしまうことがある。これは、軽く触られた状態だと、逆らおうとすることができないということではなかろうか。
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沖縄において,空手とは,護身術そのものであったはずだ。「護身術そのもの」とは,沖縄においては,素手で体を守る技術といえば,空手しかなかったということである。素手で体を守る技術のことを,沖縄では「空手」と呼んだということだ。正確には,その時代には,「手」と呼ばれていたようであり,「手」という極めて一般的な名称は,上記のような考え方を象徴しているようにも思える。
本土でいえば,柔術であり,空手は突き蹴りがどちらかというと多くて投げ関節が少なく,柔術は投げ関節がどちかというと多くて突き蹴りが少ないが,その違いは,発達した場所とその場所ごとの歴史が反映したものでしかない。刀が禁止され,かつ,中国の影響が強かった沖縄では,突き蹴り,すなわち、拳法が中心的になり,鎧を着けての組打ちを含む戦いの歴史の後に,刀を日常的に持ち歩く武士という人の層から,素手の技術が分化してできた柔術は投げ関節が中心となったということである。
だから,今の空手と沖縄空手が違うのは当たり前だ。それこそ,当たり前ののことであるが,頭の整理として書いてみた。
太極拳に両手で押す技がある。これが非常に相手を大きく崩せるように感じる。正しいのかどうかは,わからないが,遊び半分で家内に技をかけるときは,まず軽くそっと触れてから一瞬に力をかけるようにすると,小さな力で大きく崩れる。宇城先生や城間先生などの映像を見ていても,受けはそっと受けて,その後に投げている。これについて,思いついたことがある。
そっと圧力をかけると,普通の人はそれに応じてそっと押し返してくる。それ以上の力を入れると,押し返しすぎてこちらが崩れてしまうし,どうしようとしているかも分からないからだろう。そうすると,お互いの体がちょうど緩みのない状態でつながった状態になる。そこで,こちらが力を一瞬に込めると,相手は反応しようとするが,体が緩みなくつながっているから,押し返すには間に合わず,その力が自分を飛ばす力になってしまうということではないだろうか。