現実を言葉にするということは、 無限であり、常に流動している現実を、他人又は後の自分に伝えるために一部を切り取り、又は一時的に固定することである。
そこから考えると、いろいろな抽象的な事象、現象に細かく名前をつける高岡先生のDS理論辺りは、実は、理論の性質としては、同理論で言うところの「スティフ」なものになってしまうのではないか。掲示板などを見る限り、それぞれのDSなどの「名前」ごとに、各人の感覚的な主張が熱心に言いっぱなされるだけで、議論にあまりなっていないように感じられるのである。つまり、「名前」に拘束されて議論が深まりにくくなっているのではないかと感じられるのである。
もちろん、感覚的なところでは、余人にはない、極めて優れたものであると思うし、だから、ノウハウとしては効果のあるものだろうとは思う。
高岡先生のDS 理論とか、伊藤昇先生の胴体力理論とかは、技の創出及び使用の素材となる身体の、素材としてのレベルを上げようとするものであると思う。
素材であるから、DS や胴体力の訓練をすることにより技の創出や使用のレベルアップの「スピードが早くなったり、微妙なところが人よりも分かったりする」ということであり、技の練習をしなくても達人になれるということでは、決してないと思う。
素材であるから、DS や胴体力の訓練をすることにより技の創出や使用のレベルアップの「スピードが早くなったり、微妙なところが人よりも分かったりする」ということであり、技の練習をしなくても達人になれるということでは、決してないと思う。
高岡先生のゆる体操に、「Vゾーン!」と叫びながら、「コマネチ!」の動作をするものがあった(と思う)。何の意味があるのかさっぱり分からなかったが、ふと思い付いたことがある。
前屈での逆突きのときに前側の股関節を軸にして後ろ側の腰をパタンと閉じるように動く場合のように、股関節を軸にした動きをするときに、その動きの境目部分を意識させようとするものではないか。
前屈での逆突きのときに前側の股関節を軸にして後ろ側の腰をパタンと閉じるように動く場合のように、股関節を軸にした動きをするときに、その動きの境目部分を意識させようとするものではないか。