「死んだあの方は、決して君にそんなことを望んでない」
昭和の刑事物ドラマでよくあるシーン。
犯人が人質を取って銃を突きつけ、その向かい側20メートルほど先には刑事が5名ずらりと並んでいて説得を試みる。その台詞が冒頭だった訳だ。
「銃を捨てて自主しろ」とか「今からでも遅くはない」とか「馬鹿な真似はやめろ」とか、とにかくテンプレート通りのお決まりパターンだ。
そういえば「相棒」でも杉下右京がそんな台詞を吐いていたように思う。こういう場面では、往々にして自分の最愛の人を殺した相手にピストルを向けたり、何らかの理由があって復讐しようとしていたり、自殺をしたりと、いわゆる世間的に良くないことをしようとしている者に向けられることが多い。
で、当事者は説得され、行為を思い止まる訳だ。
こういうドラマを見せつけられるといつも思う。
「死んだあの方は、決して君にそんな事を望んでない」と言われても、どうしてそんな事が解るのだ?
それとも刑事は、死者から「あいつを思い止まらせてくれ」と頼まれたのだろうか?
だとすれば、その刑事は常人離れした霊感体質だと認めざるを得ないだろう。
正確にいうならば「死人に口なし」である。
生前にどのような因果があろうとなかろうとも、死者が何を望んでいるかなんぞ判りはしないのだ。私は説得された犯人にも言いたい。
「そんな簡単に思い止まれるのなら最初からするな!」
何の為にわざわざ面倒臭い計画まで立てて、苦労してまで復讐に及んだのか?
こんなものは、恋心を持った者が…
「あなたの居ない世界なんて、私にとってありえない」
そう言っているのと同じ。だから、その対象となる存在が無くなってしまえば世界は途端に色褪せる。
でも、考えてみてほしい。
「生まれた時から、そのような気持ちだったのか?」ということだ。
こんなのは「この世に酒が無かったら人間生きて行けない」と言っているのと同じ類のものだ。子供の頃は酒なんて飲まなくても全然平気だった筈だ。
私だって酒は大好きだが、毎日飲まないと生きていけない程じゃない。
寧ろ逆で、殆ど飲まない生活を続けることによって、それが日常になっている。
話を戻そう。
死んでしまった人は、あなたにとって何を残してくれたのか?
■野球狂の詩 鉄五郎のバラード
水島新司氏の名作漫画「野球狂の詩」のサイドストーリーである。
東京メッツ(現 札幌華生堂メッツ)の岩田鉄五郎が中学生(今でいう高校生)だった頃、恋仲の可奈子という女子生徒がいた。
しかし、可奈子の父親は、鉄五郎との交際を認めなかった。鉄五郎は大好きな野球を捨ててでも駆け落ちして満州へ行くといい、可奈子も了承した。
約束の場所に行った鉄五郎だったが、可奈子は現れなかった。自分が振られたものと思い込み、そのまま野球に戻ったのだ。
それから数十年の月日が流れ、年老いた鉄五郎は立派な所帯を持っていたが、久しぶりに再会した可奈子のほうはずっと独身を通して仕事に人生を捧げたという。
病室のベッドで寝ていた可奈子は、死ぬ間際にもう一度逢いたいと願うが、そこに鉄五郎は現れなかった。彼にすれば、自分は振られたのだという。
ところが、あの時の可奈子も同じ場所に来ていた。
ただ、ホンの少し遅かった…
鉄五郎は最後まで待てなかったのだ。
可奈子の葬儀の日――そこの寺では、丁度出棺が行われようとしていた。トラックで乗り込んだ鉄五郎は「可奈子には葬式の白い菊よりもこの黄色いバラのほうが似合う」といい、トラックの荷台一杯に摘んであったそれを花道としてバラ撒いた。
■死者は何も望まない
実際問題、大事な存在を失い、心に風穴が開くことはあっても大方は時間が解決してくれるものだ。
別に恋人に限った話ではないのだが、親や兄弟や友人を失ったり、可愛がっていたペットを失ったりして、世界が色褪せたように見えてしまうのは人間としてごく普通の現象である。
また、自己が愛した存在を失った時に涙する理由は、本当に相手を慈しんでるというよりも、今まで自分自身を満たしてくれた、または守ってくれた存在が居なくなったことで孤独に陥った自己のほうを悲しんでいるのではないのか?
そうさせているのは紛れもなく人間の心であり、その心に風穴が開いた時に世界も色褪せて見えるのである。
しかしながら、死者にとって、それはあくまでも過去であり、そんな悲しんでいる自己に対してどのような思慮分別をしているかなど、こちらからは知る術がないのだ。
ひとつだけ言えること
それは、今自分がここに居られるのは、生前の彼らと何らかの関わりによって生かされているという事実であり、その為に学習してきたことは不変なのである。
悲しむよりも、寧ろそういったものを大事にするべきではないかと思うのだがね。死んだ者がどう思っているかなんぞ知ったことではない。
しかしながら
生前の彼らと共に過ごしてきた想い出は絶対不変!
だから、それを自分自身の誇りとすればいい。
この先、生きていくのに十分なものを受け取る事ができているはずだ。
そして、今度はそんな自分自身が想い出に残る人になればいい。
そう思うのだ。