一時帰国を余儀なくされる | トロント在住の中年男

トロント在住の中年男

2011年に日本を離れ、様々な不思議な経験をしました。その中で皆さんとあるあるな経験を共有できたらいいなと始めました。中には、海外生活に役立つ情報もあると思います。是非皆さん読んでください。

仕事をするにもタイミングが大事。

年も明けていよいよお金が限界。

 

学校をキャンセルしてお金を払い戻してもらわないと、帰国できなくなる可能性も高い。

 

飛行機のチケットが買えないのだ。

 

両親に頼んだ時点でゲームオーバー。それが両親との約束だ。

 

なんとかこの状況を抜け出さないといけない。

 

そんな時におばさんからの紹介で、祖母も働いていた日本食レストランに週2−3日間働けることになった。

 

3週間くらい経った頃、何度も計算しても確実に数ヶ月でお金がなくなる。

 

ここまでか?

 

限界なのか。。。。

 

何度も計算したが、せっかく紹介してもらったところをすぐに辞めることになってしまう。

 

おばさんの家にいるからと、お金もないのにいることは絶対に許されない。

 

おばさんはいいというだろうけど、そういうことではない。

 

さらに2週間考えた。でも心は決まっている。

 

帰国。。。。

 

今からならワーキングホリデーもある。仕事をしながらしっかり英語も学べると考えた。

 

そっちの方が今ここにいるよりも未来がある。

 

学校にも通いたい。ただ他国で住むだけが目的ではない。

 

そんな2月のある日。

 

おばさんが仕事から帰国。

 

日本に帰国することを伝える。

 

もちろんブチギレられた。。。

 

仕事もやっと苦労してついたのに、なんでチャレンジしないのかと。。

 

ただ厳しい。人にこれ以上頼るのはムジカしい。

 

そのまま約1週間ほど気まずい空気は、流れた。

 

そして再度しっかり自分の考えをぶつけた。

 

1時間ほど話をして、納得してもらった。

 

そこからは、学校をキャンセルして、帰国の準備に備えた。

 

失敗に終わったのだ。

 

2年以上かけて勉強もしてお金も分からないなりに貯めた。

 

失敗は許されないの。。。

 

結局貧乏人は、海外で学校出るのは夢なのか。。。

 

どんなに頑張っても自分でやる以外道がない。。

 

周りの友達も同じ時期に海外に出た人もいる。

 

カナダやアメリカだ。

 

でもお金の心配はいらない。

 

惨めだった。なんでいつもいつもこうなるのか。

 

2月の終わりだったと思う。その夜、母親には内緒で、帰国した。

 

初めての一人での飛行機。

 

英語もろくにできない。

 

でも帰るときは、もう次に向かっていた。

 

諦めるわけにはいかない。

 

日本の友達の家に数日とまらせてもらって、実家に帰った。

 

そしてしっかり再度やり直さないといけないことを伝えた。

 

ただ、次の目的地は決まっていた。

 

オーストラリアだった。

 

 

 

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