正直なところ『終戦記念日』の呼び名にしっくりと来ないものを感じています。

自分の中では「大日本帝国終焉決別の日」なのです。

どうも軍国主義復古を望む方々が、戦没者を“英霊”と事ある毎に讃えている事にちょっとした怒りすら覚えるのです。

(会ったこともない)祖父は異国の空で散った。

国によって仕向けられた戦場加害者であり、国によって命を奪われた被害者です。

戦時中、前線に赴いた兵士の大半は飢餓や伝染病で亡くなり、軍首脳部が戦況を真摯に受け入れていれば、この方々の命を無駄に奪う事も無かっただろう。

ましてや、広島や長崎での原爆投下という惨劇は、充分回避出来たのではないかと強く思うである。


しかし、今年も現行憲法の原則(政教分離)を破って、“現職閣僚”が靖国神社という“特定の宗教法人”に参拝したのである。

SPも付けず、公用車も使わず、更には議員で無ければ、ああだこうだとは言いません。

憲法を軽んじる、憲法に反するような閣僚達の手で、憲法改正の発議がどうのこうの言って欲しくはない。

それに輪をかけるように、商船三井の船がモーリシャスで座礁、油流出による環境破壊という大問題が発生している時に、参拝を優先した環境大臣には呆れるばかり。


因みに、今日のロイターでは靖国神社に軍服コスで参拝に向かう人々の写真を添えて、現職閣僚の参拝、総理大臣からの玉串などから、現在の日本は戦争を美化し、反省していないのではないか?と世界発信しておりました💦






日本の囲碁七大タイトルの1つ『碁聖戦』5番勝負を3連勝で、一力遼八段が羽根碁聖より奪取!

宮城県出身者で、初めて七大タイトルのタイトルホルダーが誕生。

今までNHK杯のような早碁での強さを見せる事が有ったが、七大タイトルに関しては井山裕太九段などにことごとく跳ね返されていた。

河北新報社・一力雅彦社長もさぞお喜びでしょうね〜♪

これにより今後の楽しみというか、興味があるのは河北新報社の東京支部記者・一力遼として碁聖戦の感想戦記事を書くのではないかという事。

これはこれで、かなりレアである。

とにかく、一力遼新碁聖おめでとうございます!










幼き頃、足下に広がる草花や小さな虫の居る世界が、何とも広大でキラキラとした美しい世界だった。

そして、頭上高くに広がる空の広さと色、雲の形、空飛ぶ鳥や虫達に心惹かれる美しい世界だった。

ふと今の自分の目線を思う。

歳を重ねるにつれて、自分の目線は徐々に足下に広がる世界から遠くなり、空に近づいたはず。

しかし、自分の目線から離れた距離以上に、足下に広がるキラキラした美しき世界は遠くなり、

自分の目線から近づいたはずの距離ほど、空の広がりを感じられないのは何故だろう。

何かを失い、何かを閉じてしまい、何かを避けているのか?

自然に身を委ねてみようか、自然に身を投じてみようか。

キラキラした美しい天と地を感じられる、幼き頃の感覚を少しでも取り戻しに。